かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける
和歌 (百人一首6)
かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
中納言家持 『新古今和歌集』
歌意
かささぎが(恋人たちを会わせるために)天の川に渡した橋を思わせる宮中の階(鵲橋)におりる霜の白さを見ると、夜もすっかり更けたのだなあ
作者
作者は中納言家持(大伴家持)です。三十六歌仙の一人です。
大の酒好きであった大伴旅人の息子です。
家持は、『万葉集』に多くの歌を残しており、そのことからも『万葉集』の編纂に深くかかわったと言われています。
ポイント
かささぎの
「鵲」は、織姫と彦星を会わせるために、天の川に翼を広げて橋をつくったという伝説があります。
一方で、宮中のことを「天上」と言いますし、宮中の階は、「鵲橋(かささぎばし・などと言います。
そのことから、この歌に出てくる「橋」が、「空にイメージしたもの」なのか、「宮中の実際の階段」を指しているのかは不明瞭です。
どちらでも解釈できるところに妙味があるんだろうね。
織姫と彦星が出会う「七夕」は、「文月(初秋)」のことですね。
しかし、この歌では「霜」が降りているのですから、季節は「冬」になります。
空を見て、七夕のことを思い、ふっと目線を落とすと白い霜がおりていて、その白さを媒体として、「ああもう夜更けか……」と我にかえるような歌だと言えますね。
ああ~。
なんか、映画観ていて、夢中になってしばらく経って、ふと、いつのまにか窓の外の街灯の明かりが目に入って、「え、もう夜になってたのか……」と気づくような歌なのかな。
いいセンいってるたとえだと思います。
その映画がチャップリンの『街の灯』などでしたら、たとえの秀逸さが際立ちますね。
チャップリン 喜劇でともす 街の灯の 明きを見れば 夜ぞ更けにける
正直、相当いいと思います。
あとは、「映画の内容は秋なんだけれども、現実は冬だった」というエッセンスも織り込めるとパーフェクトです。
なんか、そこまで織り込んでくる中納言家持がスゴ過ぎだな。
渡せる橋に
「る」は、助動詞「り」の連体形です。ここでは「完了」の意味です。
置く霜の
現代語では「霜が降りる」となりますが、古文では「降る」「置く」をよく使います。
白きを見れば
「已然形」+「ば」なので、確定条件です。
夜ぞ更けにける (係り結び)
「ぞ」⇒「ける」が「係り結び」です。
「ける」は助動詞「けり」の連体形です。
誰かから伝え聞いた過去ではなく、実体験の「気づき」なので、助動詞の意味としては「詠嘆」になります。