〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。
高名の木登りといひしをのこ、人を掟てて、高き木に登せて梢を切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに、軒たけばかりになりて、「過ちすな。心して降りよ。」と言葉をかけはべりしを、「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。」と申し侍りしかば、「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れはべれば、申さず。過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつることに候ふ。」と言ふ。
徒然草
あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難きところを蹴いだして後、やすく思へば、必ず落つとはべるやらん。
現代語訳
高名の木登りと(世間が)言った男が、人を指図して、高い木に登らせて梢を切らせたときに、たいへん危なく見えたときに何も言わないで、降りるときに、(家の)軒の高さぐらいになって、「間違いをするな。気をつけて降りろ。」と言葉をかけたので、「このくらい(の高さ)になっては、飛び降りてもきっと降りることができるだろう。どうしてそのように言うのか。」と申しましたところ、「そのことでございます。(高さで)目がまわり、枝が危ないうちは、(登っている)本人が怖れておりますから、(気をつけろとは)申しません。間違いは、(降りるのが)たやすいところになって、必ずいたしますことでございます。」と言う。
(この高名の木登りは)身分の低い者であるけれど、(その言葉は)徳の高い人の戒めに一致している。蹴鞠も、難しいところを蹴り出した後に、簡単だと思っていると、必ず落ちるという戒めがあるようでございます【必ず落ちると申すようでございます】。
ポイント
かたし 形容詞(ク活用)
「難き」は、形容詞「難し(かたし)」の連体形です。
文字通り、「難しい」「困難だ」と訳します。
やすし 形容詞(ク活用)
「やすく」は、形容詞「易し(やすし)」の連用形です。
文字通り、「簡単だ」「容易だ」「たやすい」と訳します。
はべり 敬語動詞(ラ行変格活用)
「はべる」は、敬語動詞「はべり」の連体形です。
本動詞ならば、「謙譲語(お仕えする・控える)」か「丁寧語(あります・おります・ございます)」か、どちらかになります。
補助動詞ならば、原則的に「丁寧語(~です・~ます・~ございます)」と判断します。
ここは文法上は本動詞ですが、貴人に仕えている場面ではありませんので、「丁寧語」と判断します。
「必ず落つとはべる」というつながりをどう訳すかについては、文脈から考えて表現を補う必要があります。
「必ず落ちるという戒めがございます」とか、「必ず落ちるという申し方がございます」などといったように、意味内容としては「蹴鞠の世界で浸透している言い回しがある」という感じで訳せるといいですね。
やらん 連語
「~やらん」は連語であり、「~にやあらん」がつまった表現です。
断定の助動詞の連用形「に」
疑問・反語の係助詞「や」
動詞「あり」
推量の助動詞「ん」
がつながったものであり、「〇〇にやあるらん」は、「〇〇であるのだろうか」と訳すことになります。
「やらん」はこの圧縮版であり、使用例としては、
① 相手に問うとき・自問するとき
② 何かを推量しているとき
③ 断定を避けてぼんやりと表現したいとき
など、用途にあわせて広く用いられています。
そのことから、訳についても、
①疑問 ~だろうか
②推量 ~だろう
③婉曲・不確か ~ようだ・~とかいう
など、いくつかの訳し方に分かれます。
ここでは、文脈上、「蹴鞠の世界にも『簡単なときこそ注意せよ』という戒め(申し伝え)があるようでございます」と言っていることになります。
「疑問を投げかけている」わけでもないですし、「推し量っている」わけでもないので、③の「きっぱりと断定することを避けて、婉曲的に表現している」使い方だと判断します。
丁寧語「はべり」をどういうふうに訳に入れるのか迷うところですね。
語順通りに入れれば、「必ず落ちるという戒めがございますようだ」となりますが、「ございますようだ」という表現が、現代日本語としてやや違和感があります。
そういう場合には、「丁寧語」の語順にはそれほどこだわらず、「ひとかたまりを丁寧にできればいい」と考えて、「ひとかたまり」の最後のほうに「です・ます・ございます」を下ろしてしまっても大丈夫です。
すると、「必ず落ちるという戒めがあるようでございます」という訳になります。
もともと「戒めがある」という部分は、省略を補った表現なので、「必ず落ちるというようでございます」などとあっさり訳してしまうこともできます。
意味は通りますので、「省略を補って訳せ」などという条件がなければ、「必ず落ちるというようでございます」とか、「必ず落ちるとされているようであります」といったように、ライトに訳しても減点はされません。