もろともに あはれとおもへ やまざくら はなよりほかに しるひともなし
和歌 (百人一首66)
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
前大僧正行尊 『金葉和歌集』
歌意
私がおまえをしみじみいとしいと思うように、おまえもいっしょに私をしみじみいとしいと思ってくれ、山桜よ。花であるおまえのほかに、心を知る人もいないのだ。
作者
作者は「前大僧正行尊」です。
三条天皇の曽孫にあたる人物で、お父さんは参議「源基平」です。
この歌については、金葉和歌集の詞書に「大峰にて思ひがけず桜の花を見て詠める」とあります。「大峰」というのは、大和国(いまの奈良県)吉野にある大峰山で、古くから修験道の修行をするところとして知られています。
ああ~。
修行中に山桜に出会って、なんだか生き物に出会ったみたいで、つい呼びかけちゃったという歌なんだな。
そうです。
修行中に思いがけず出会った山桜です。
まだつぼみが混じって咲いていまして、風のせいで花が散ったり、枝が折れたりしても、見事に咲いていました山桜です。
ポイント
もろともに
「もろともに」は副詞です。
「いっしょに・ともに」という意味です。
あはれと思へ
ここでの「あはれ」は形容動詞「あはれなり」の語幹です。
「思へ」は「思ふ」の命令形で、「しみじみいとしいと思ってね」とお願いしているようなケースですね。
山桜
大峰山に咲いていた山桜です。
花よりほかに
「花」は「山桜」を指しています。
「大峰山で出会ったこの山桜の花以外には」ということですね。
知る人もなし
「私の気持ちを知る人はいない」ということです。
修験道における山伏の修行は厳しく、実に孤独なものです。
たまたま出会った山桜と、孤独な心を共有したいと思ったのでしょうね。
「擬人法」というやつだな。
そうです。
山桜をまるで人のように扱っているのですね。
ちなみに「擬人法」のことを別名「活喩」といいまして、たまに試験に出してくる先生がいます。
「擬人法」=「活喩」か。覚えておこう。