虫愛づる姫君 『堤中納言物語』 現代語訳(1)

蝶てふめづる姫君の住みたまふかたはらに、~

てふめづる姫君の住みたまふかたはらに、按察使あぜちの大納言の御むすめ、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづきたまふこと限りなし。

蝶をかわいがる姫君が住んでいらっしゃる(屋敷の)隣に、按察使の大納言の姫君が(いらっしゃり、その姫君の)奥ゆかしく並々でない様子に、親たちが大切にお育てになることはこの上ない。

「按察使(あぜち)」というのは、令外の官のひとつで、国司の仕事や、各国の人々の様子などを視察する役職です。平安時代には陸奥と出羽だけが任地となり、主に大納言や中納言が兼務しました。

この姫君ののたまふこと、~

この姫君ののたまふこと、「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ」とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、「これが、成らむさまを見む」とて、さまざまなる籠箱こばこどもに入れさせたまふ。中にも「烏毛虫かはむしの、心深きさましたるこそ心にくけれ」とて、明け暮れは、耳はさみをして、手のうらにそへふせて、まぼりたまふ。

この姫君がおっしゃることには、「人々が、花よ蝶よとかわいがるのは、浅はかでおかしなことだ。人は、誠実な心があり、ものの本質を追究することこそ、心がまえが立派なのだ」と言って、いろいろな虫で、恐ろしそうなものを採集して、「これが、成長する様子を見よう」と言って、さまざまな虫籠などに(虫を)入れさせなさる。中でも、「毛虫が、思慮深い様子をしているのは奥ゆかしい」と言って、明けても暮れても、(額から頬に垂らした)髪を耳の後ろにかきあげて、(毛虫を)手のひらに添えて這わせて、じっと見守りなさる。

若き人々は、~

若き人々は、おぢ惑ひければ、わらはの、ものおぢせず、いふかひなきを召し寄せて、箱の虫どもを取らせ、名を問ひ聞き、いま新しきには名をつけて、興じ給ふ。

若い女房たちは、恐れうろたえたので、男の童で、物おじしない、身分の低い者を呼び寄せて、箱の虫たちを取らせ、名を問い尋ね、さらに新種の虫には名をつけて、おもしろがっていらっしゃる。

「人はすべて、~

「人はすべて、つくろふところあるはわろし」とて、眉さらに抜きたまはず。歯黒め、「さらにうるさし、きたなし」とて、つけたまはず、いと白らかにみつつ、この虫どもを、朝夕べに愛したまふ。

「人は総じて、取り繕うところがあるのはよくない」といって、眉毛は全くお抜きにならない。お歯黒も、「まったく煩わしい、不潔だ」と言って、おつけにならず、たいそう白い歯で笑いながら、この虫たちを、朝に夕にかわいがりなさる。

人々おぢわびて逃ぐれば、~

人々おぢわびて逃ぐれば、その御方は、いとあやしくなむののしりける。かくおづる人をば、「けしからず、ばうぞくなり」とて、いと眉黒にてなむ睨みたまひけるに、いとど心地なむ惑ひける。

女房たちが恐れ嘆いて逃げると、その姫君のお部屋は、たいそう甚だしく大騒ぎをした。このように怖がる女房を、「異様だ、無作法だ」と言って、たいそう黒々とした眉で睨みなさったので、(女房たちは)いっそう気持ちが乱れた。

親たちは、~

親たちは、「いとあやしく、さまことにおはするこそ」と思しけれど、「思し取りたることぞあらむや。あやしきことぞ。思ひて聞こゆることは、深く、さ、いらへたまへば、いとぞかしこきや」と、これをも、いと恥づかしと思したり。

親たちは、「とてもおかしく、風変わりでいらっしゃる」とお思いになったが、「お悟りになっていることがあるのだろうか。不思議なことだ。(私たちが姫のために)思って申し上げることには、深く、そのように【悟ったように】お答えなさるので、たいそう恐れ入ったことよ」と、これ【姫君の言動】をも、(世間に対して)たいそうきまりが悪いとお思いになった。

「さはありとも、~

「さはありとも、音聞きあやしや。人は、みめをかしきことをこそ好むなれ。むくつけげなる烏毛虫を興ずなると、世の人の聞かむも、いとあやし」と、聞こえたまへば、「苦しからず。よろづのことどもをたづねて、すゑを見ればこそ、事はゆゑあれ。いとをさなきことなり。烏毛虫の、蝶とはなるなり」そのさまのなり出づるを、取り出でて見せたまへり。

「そうであっても、外聞が悪いよ。人は、見た目の美しいことを好むのである。気味の悪い毛虫をおもしろがっているそうだと、世間の人が聞くとしたら、たいそう不都合だ」と、申し上げなさると、(姫君は)「かまわない。万事のことを探究して、行く末を見るからこそ、物事はわけがわかる。(見た目にこだわるのは)たいそう幼稚なことである。毛虫が、蝶となるのだ」(と、)毛虫が蝶に変化するところを、(このとおりと)取り出してお見せになった。

「きぬとて、~

「きぬとて、人々の着るも、蚕のまだ羽つかぬにし出だし、蝶になりぬれば、いともそでにて、あだになりぬるをや」とのたまふに、言ひ返すべうもあらず、あさまし。

「絹といって、人々が着るものも、蚕がまだ羽のつかないころに作り出して、蝶になってしまうと、全く相手にせず、役に立たないものなってしまうのだよ」とおっしゃるので、(親たちは)言い返すこともできず、あきれている。

さすがに、~

さすがに、親たちにもさし向かひたまはず、「鬼と女とは、人に見えぬぞよき」と案じたまへり。母屋もやすだれを少し巻きあげて、几帳きちやういでたて、しかくさかしく言ひ出だしたまふなりけり。

そうはいってもやはり、(姫君は)親たちにも面と向かって言うことはなさらず、「鬼と女は、人に見られないのがよい」とあれこれ考えなさっている。母屋の簾を少し巻き上げて、几帳を押し立てて、このように利口そうに理屈を並べなさるのであった。

 

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