ねの掛詞 『大和物語』 現代語訳

深草の帝とまうしける御時、~

深草の帝とまうしける御時、良少将といふ人いみじき時にてありけり。いと色好みになむありける。しのびて時々あひける女、おなじ内裏にありけり。「こよひ必ずあはむ」と契りたる夜ありけり。女いたう化粧して待つにも音もせず。目を覚まして、「夜やふけぬらん」と思ふほどに、時申す音のしければ聞くに、「丑三つ」と申しけるを聞きて、男のもとにふといひやりける、

深草の帝と申し上げた御代、良少将という人は並々でなく時流に乗った時であった。たいそう色好みであった。人目を忍んで時々会っていた女が、同じ宮中にいた。「今晩必ず会おう」と約束した夜があった。女はたいそう化粧をして待つが(男が来訪する)音もない。目を覚まして、「夜は更けてしまっているだろうか」と思ううちに、時刻を告げる音がしたので聞くと、「丑三つ」と申したのを聞いて、男のもとにすぐに言ってやった(歌は)、

人心うしみつ今は頼まじよ~

 人心うしみつ今は頼まじよ

といひやりたりけるにおどろきて、

 夢に見ゆやとねぞすぎにける

とぞつけてやりける。しばしと思ひてうちやすみけるほどに、ねすぎにたるになむありける。

  あなたの心(はわかった)。もう丑三つ【午前2時~2時半】だ。これからは頼りにしないつもりよ

と言って送ったところに(良少将は)はっと目を覚まして、

  夢にあなたが見えるかと思って寝ているうちに、子の刻【午後11時~午前1時】を過ぎてしまった。

と付句を送った。ほんのちょっとと思って休んでいたあいだに、寝すぎてしまったのであった。

良少将の付句の「ね」のところは、「寝」と「子」の掛詞になっています。

ああ~。

「寝すぎて、子の刻を過ぎてしまった」ということなんだね。

古典の感覚では、「相手が自分を思って夢に会いに来てくれる」と考えるのが一般的です。

女が「さっさと会いに来てくれない男」に対して文句を言っていることに対して、男のほうは、「夢に会いに来てくれるかなと思っていたら寝過ごした」と、言い訳をしているのですね。