いみじうせきあへぬけしきなり。(堤中納言物語)  

(問)傍線部を現代語訳せよ。

また、若き人々、二、三人ばかり、薄色の裳引きかけつつゐたるも、いみじうせきあへぬけしきなり。いみじうせきあへぬけしきなり。  

堤中納言物語

現代語訳

また、若い人々が二、三人ほど、薄紫色の裳を引きかけて着ながら座っている(その人たち)も、たいそう涙をこらえられない様子である

ポイント

いみじ 形容詞

「いみじう」は形容詞「いみじ」の連用形ウ音便です。

「忌む」を語源とする「いみじ」は、「程度・よさ・悪さ」が「並々でない」ということです。

いまの若者ことばで言うと、「ヤベエ」とか「パネエ」みたいなやつだな。

「よい・わるい・程度」のどれであるかは文脈判断ですが、〈連用形「いみじく(いみじう)」〉であるときは、〈程度―はなはだしい・たいそう〉の意味になりやすい傾向があります。「たいそう美しい」とか、「はなはだしく腹をたてる」といったように、対象となる用言の〈程度〉を強調している使い方です。

一方、〈連体形「いみじき」〉であるときは、〈肯定的評価/否定的評価〉のどちらかになりやすい傾向があります。「いみじきこと」であれば、「すばらしいこと/ひどいこと」といったように、対象となる体言を評価しているのです。

せきあふ 動詞

「せきあふ(塞き敢ふ)」は「(涙を)こらえる」の意味になる動詞です。一般的に打消表現を伴い、「涙をこらえられない」と訳します。

文法的には「こらえない」と訳しますが、慣用的には、「こらえられない」「こらえることができない」といったように「不可能っぽく」訳す方が自然です。

これは、「敢ふ」が、「なんとかこらえる」「強引になんとかする」という意味であるためです。つまり、「がんばって涙をこらえていたんだけど……出てしまった」ということなのであり、「こらえようとしていた」意志が前提として存在しているため、これを打ち消すと、「我慢できない」というニュアンスになるのです。

けしき 名詞

「けしき(気色)」は「様子」と訳しましょう。

目で見えているものの様子を示す場合は「けしき」を用いることが多く、「オーラ」のようなものを示す場合は「けはひ」を用いることが多くなります。

肝試しに行ったとして、「けはひし」などと言うのであれば、それは「目で見えないけれど何だか雰囲気が悪い」ということを意味しています。

なり 助動詞

【体言 or 活用語の連体形】に接続する助動詞「なり」は「断定」の意味です。

「である」「だ」などと訳します。 

 

駅前のラーメン屋の大盛、麺いみじう多し。