(問)傍線部を現代語訳せよ。
何事ならむと、聞きわくべきほどにもあらねど、尼にならむと語らふけしきにやと見ゆるに、法師やすらふけしきなれど、なほなほせちに言ふめれば、さらばとて、几帳のほころびより、櫛の箱の蓋に、丈に一尺ばかり余りたるにやと見ゆる髪の、筋、裾つき、いみじううつくしきを、わげ入れて押し出だす。かたはらに、いま少し若やかなる人の、十四、五ばかりにやとぞ見ゆる、髪、丈に四、五寸ばかり余りて見ゆる、薄色のこまやかなる一襲、掻練など引き重ねて、顔に袖をおしあてて、いみじう泣く、おととなるべしとぞおしはかられ侍りし。また、若き人々、二、三人ばかり、薄色の裳引きかけつつゐたるも、いみじうせきあへぬけしきなり。
堤中納言物語
現代語訳
どういうことであろうかと、(私が)聞き分けられるほど(の距離)でもないけれど、(女が)尼になろうと相談している様子であろうかと見えるが、法師は(女を尼にするのを)ためらう様子であるが、(女は)それでもやはりひたすらに言うようなので、(僧も)それならばということで、(女は)几帳の縫い合わせていない部分から、櫛の箱の蓋に、身長より一尺ほど余っているだろうかと見える髪で、毛筋や裾の形が、たいそう美しいのを、輪のような形にして入れて、押し出す。(女の)そばに、もう少し若そうな人で、十四、五歳ぐらいだろうかと見える、髪が身長に四、五寸ほど余って見える人が、薄紫色のきめこまやかな一襲【衣服の一揃い】(を着て)、(その上に)掻練【紅花などで染めたやや薄い紅色系の絹織物】などを重ねて、顔に袖を押し当てて、ひどく泣く(人は)、(その女の)妹なのであろうと推し量られました。また、若い人々が、二、三人ほど、薄紫色の裳を引きかけて着ながら座っている(その人たち)も、たいそう涙をこらえられない様子である。
ポイント
いみじ 形容詞
「いみじう」は形容詞「いみじ」の連用形ウ音便です。

「忌む」を語源とする「いみじ」は、「程度・よさ・悪さ」が「並々でない」ということです。

いまの若者ことばで言うと、「ヤベエ」とか「パネエ」みたいなやつだな。


「よい・わるい・程度」のどれであるかは文脈判断ですが、〈連用形「いみじく(いみじう)」〉であるときは、〈程度―はなはだしい・たいそう〉の意味になりやすい傾向があります。「たいそう美しい」とか、「はなはだしく腹をたてる」といったように、対象となる用言の〈程度〉を強調している使い方です。
一方、〈連体形「いみじき」〉であるときは、〈肯定的評価/否定的評価〉のどちらかになりやすい傾向があります。「いみじきこと」であれば、「すばらしいこと/ひどいこと」といったように、対象となる体言を評価しているのです。
せきあふ 動詞
「せきあふ(塞き敢ふ)」は「(涙を)こらえる」の意味になる動詞です。一般的に打消表現を伴い、「涙をこらえられない」と訳します。

文法的には「こらえない」と訳しますが、慣用的には、「こらえられない」「こらえることができない」といったように「不可能っぽく」訳す方が自然です。
これは、「敢ふ」が、「なんとかこらえる」「強引になんとかする」という意味であるためです。つまり、「がんばって涙をこらえていたんだけど……出てしまった」ということなのであり、「こらえようとしていた」意志が前提として存在しているため、これを打ち消すと、「我慢できない」というニュアンスになるのです。
けしき 名詞
「けしき(気色)」は「様子」と訳しましょう。

目で見えているものの様子を示す場合は「けしき」を用いることが多く、「オーラ」のようなものを示す場合は「けはひ」を用いることが多くなります。
肝試しに行ったとして、「けはひ悪し」などと言うのであれば、それは「目で見えないけれど何だか雰囲気が悪い」ということを意味しています。
なり 助動詞
【体言 or 活用語の連体形】に接続する助動詞「なり」は「断定」の意味です。
「である」「だ」などと訳します。


駅前のラーメン屋の大盛、麺いみじう多し。
