世の響き 『栄花物語』 現代語訳

『栄花物語』より、「世の響き」の現代語訳です。

中宮「定子」は、999年に一条天皇の第一皇子を出産します。敦康あつやす親王(一宮)」です。

その後、中宮「彰子」が、1008年に一条天皇の第二皇子を出産します。敦成あつひら親王(若宮)」です。

さて、一条天皇の御代の東宮(皇太子)は「居貞おきさだ親王(のちの三条天皇)」です。「一条天皇」から「居貞親王」に譲位した場合、次の「東宮」を決めなければなりません。

「敦康」「敦成」のどちらかを「東宮」にする場合、ものの道理で言えば、第一皇子の「敦康」になるところですが、一条天皇が譲位しようとするころには、「敦康」にとって後ろ盾となるはずの祖父「道隆」、母「定子」、おじ「伊周」はみな亡くなっていました。

一方、第二皇子の「敦成」は、祖父「道長」が強力な後ろ盾となっています。

はやくに母を亡くしている「敦康」「敦成」の誕生前から「彰子」が養育しており、「道長」も後見する立場を取っていましたが、「敦成」が生まれると「道長」からの後見態度は「敦成」に集中することになります。

一条天皇は、もともとは「敦康」を東宮にするつもりであったようですが、前述のとおり「敦康」には「はかばかしき後ろ見(しっかりした後見人)」がおりませんでしたので、最終的には「道長」をバックにもつ「敦成」が東宮になることが決まります。

中宮は若宮の御事の定まりぬるを、~

中宮は若宮の御事の定まりぬるを、例の人におはしまさば、ぜひなくうれしうこそは思し召すべきを、

中宮【彰子】は、若宮【敦成親王】が東宮におなりになることが決まったことを、通常の人でいらっしゃるならば、ひたすらうれしくお思いになるはずだが、

「上は道理のままにとこそは思しつらめ。~

「上は道理のままにとこそは思しつらめ。かの宮も、さりともさようにこそはあらめと思しつらむに、かく世の響きにより、引き違へおぼし掟つるにこそあらめ。さりともと御心の中の嘆かしうやすからぬことには、これをこそ思し召すらむに、いみじう心苦しういとほしう、若宮はまだいと幼くおはしませば、おのづから御宿世にまかせてありなむものを。」など思し召いて、

「(一条)天皇は(年齢順という)道理のままに(兄の敦康を東宮にすべきだ)とお思いになっているだろう。あちらの宮【敦康】も、そうはいってもそのようになるだろう【自分が東宮になるだろう】とお思いになっているだろうが、このような世間の評判によって、(一条天皇は、予定を)変更して(敦成を東宮にすると)心にお決めになったのであろう。そうはいってもと(敦康は)お心の中で嘆かわしく心穏やかでないことに、これ【敦成が東宮になること】をお思いになっているだろうから、たいそう心苦しく気の毒で、若君【敦成】はまだたいそう幼くいらっしゃるので、自然と前世からのご宿縁に任せているのがきっとよいだろうに。」などとお思いになって、

殿の御前にも、~

殿の御前にも、「なほこのこといかでさらでありにしがなとなむ思ひ侍る。かの御心の中には年ごろ思し召しつらむ事の違ふをなむ、いと心苦しうわりなき。」など、泣く泣くといふばかりに申させ給へば、

殿の御前【藤原道長】にも、「やはりこのことはなんとかしてそうではなくなればいいのにと思います。あちら【敦康】のお心の中では、長年の間きっとお思いになっているだろう事が食い違うことを、(私は)たいそう心苦しく耐えがたい。」などと、泣く泣くというほどに申し上げなさるので、

「さらでありにしがな」というのは、補足すると「第一皇子(敦康)をさしおいて第二皇子(敦成)が東宮になることがなければよいのに」ということです。

彰子さまは、自分の子である「敦成」が東宮になるよりも、お兄ちゃんの「敦康」が東宮になるほうが、いろいろな人が傷つかなくてすむと思っているんだろうね。

殿の御前、~

殿の御前、「げにいとありがたきことにもおはしますかな。またさるべきことなれば、げにと思ひ給へてなむ掟て仕うまつるべきを、上おはしまして、あべいことどもをつぶつぶと仰せらるるに、『いな、なほ悪しう仰せらるることなり。次第にこそ。』と奏し返すべきことにも侍らず。」と申させ給へば、またこれも理の御事なれば、返し聞こえさせ給はず。

殿の御前は【道長】は、「本当にたいそうめったにないことでいらっしゃるなあ。やはりそうなるはずのこと【敦康親王が東宮になるはずのこと】であるので、いかにもそうだと存じ上げて(敦康を東宮に)お決め申し上げるべきだが、(一条)天皇がいらっしゃって、(これから)あるべきこと【敦成親王が東宮になるはずのこと】などをこまごまとおっしゃるところに、『いや、やはりよくない仰せ言である。(兄弟の)順序通りに【兄の敦康を東宮に】。』と言い返し申しあげるべきことでもありません。」と申し上げなさるので、またこれも理にかなったことであるので、(彰子さまは、言葉を)お返し申し上げなさらない。