意味
① 【打消】 ~ない・~ず
ポイント
上代では「な・に・ぬ・ね」が直前を打ち消すはたらきをする助動詞として使用されていました。
その連用形「に」に「す」がついて、「にす」となり、やがて「ず」になったと考えられています。
「ず」の連体形は「ぬ」だっていう活用に困惑していたけど、もともと「な・に・ぬ・ね」のほうが、歴史が古くて、混ざっていったということなんだな。
たとえば「禁止」を意味する「な」という終助詞などがありまして、これは「無」から来ているのではないかと言われています。
この上代の助動詞「な・に・ぬ・ね」も、「無」と関係があるのかもしれませんね。
ああ~。
そうかもしれないね。
活用表としてはこんな感じです。
未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形
な に (ぬ) ぬ ね 〇 (上代)
⇩
ず ず ず ぬ ね 〇 (中古)
「未然形」「連用形」「終止形」は「にす」を経て「ず」に変遷していって、「連体形」「已然形」はそのまま「ぬ」「ね」が残ったということかな。
そうですね。
「未然形」の「な」は、平安時代でも和歌のなかでは時々登場します。
「連用形」の「に」は、上代からすでに使用法が限定されていて、「知らに(知らない)」「飽かに(満足しない)」「かてに(できない)」くらいしか例を見つけられません。平安時代では和歌に数例あるくらいです。
「終止形」の「ぬ」は、「これだ!」と挙げられる例がないので、活用表にも掲載しない辞書が多いです。
ただ、たとえば、
瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ何処より来たりしものそ眼交にもとな懸りて安寝しなさぬ
の最後の「ぬ」は、係り結びなどが起きているわけではないので、文法上は「終止形」です。余剰効果のある連体止めの用法とも言えますが、これを「終止形の例」と考えることはできると思います。
平安時代以降は、打消の「な」「に」が和歌に登場することがあって、そのときは「ない」と訳すんだけど、それ以外はそんなに気にしなくていいということだな。
はい。
あとは、下に助動詞が続くときなどは、「ず」と「助動詞」のあいだに「あり」が入りました。「~ずありけり」「~ずあるべし」といった状態ですね。やがて、「ずあり」は「ざり」になり、「ずある」は「ざる」になっていきましたので、それがいわゆる「補助活用(ザリ活用)」というものになります。
補助活用が存在する活用語は、もともとの活用を「本活用(主活用)」と言います。
活用表を教科書のようにタテに書くと、次のようになります。右が「本活用」で、左が「補助活用」です。
ざ ず 未
ら 然
ーーーーーーー
ざ ず 連
り 用
ーーーーーーー
ず 終
止
ーーーーーーー
ざ ぬ 連
る 体
ーーーーーーー
ざ ね 終
れ 止
ーーーーーーー
ざ 命
れ 令
「本活用」の「命令形」や、「補助活用」の「終止形」は空欄なんだな。
「ず」はもともと「ない」という状態を意味していますから、本活用のままでそれを命令(指示)する使い方はないとされています。
また、補助活用の「終止形」について、さきほど、下に助動詞が続くために、「ずあり」が「ざり」になっていったと話しましたが、「あり」の終止形に接続する助動詞が確認できませんので、「用例なし」の扱いになっています。( ざり )というように( )をつける文法書もあります。
ああ〜。
活用表の( )は「ほとんどない」の合図だったね。
本活用の未然形「ず」もほとんど出てきませんので、( ず )とする文法書が多いですね。
例文
京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。(伊勢物語)
(訳)京には見えない鳥であるので、(そこにいる)人はみな(その鳥を)見知らない【見てもわからない】。
人、木石にあらざれば、皆情けあり。(源氏物語)
(訳)人は、木や石ではないので、皆人情がある。
しろたへの浪路を遠くゆきかひて我に似べきはたれならなくに (土佐日記)
(訳)白波が立つ海路を行き交わして、私と同じように帰京するはずの人は、他の誰でもないのに(あなたであるのに)。