陸奥の しのぶもぢずり たれゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに (河原左大臣)

みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに

和歌 (百人一首14)

陸奥みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに

河原左大臣 『古今和歌集』

歌意

陸奥の織物である「しのぶもじずり」が乱れ模様に染まるように、いったい誰のせいで私の心は乱れ始めてしまったのか。私のせいではないのになあ。(あなたのせいなのに。)

作者

作者の「河原左大臣」は、「源とおるのことです。

嵯峨天皇の皇子でしたが、臣籍降下をして、「みなもと」の姓を名乗りました。

陸奥国の按察使あぜち(地方の視察)として赴いた際に、現地の女性である虎女と知り合って恋に落ちたようですね。

いまも福島に文知摺観音もじずりかんのんってあるよね。

はい。

陸奥の信夫しのぶという地方に伝わる「文知摺」という染色方法がありまして、紋様のある石に絹をあてて、忍草の葉や茎をこすりつけて色を移すものです。

石の紋様によって、濃い部分や薄い部分ができますから、それが独特の「乱れ模様」になりました。

染め具合が、心の乱れ模様の比喩になっているのだな。

おしゃれだね。

歌はおしゃれですが、京に戻った源融と、陸奥に残った虎女は、その後会うことはできませんでした。

虎女は観音様に再会を願いますが、かなわないまま世を去ったといいます。

そういうエピソードもあって、歌は後世までヒットし、のちに松尾芭蕉や正岡子規などがこの地を訪れています。

ポイント

陸奥の

陸奥みちのく」は、現在の東北地方の東側にあたります。

この歌の舞台は、現在の福島県ですね。

しのぶもぢずり

「信夫」地方の名産である「文字摺」のことだと解釈します。

石の紋様にこすりつけるので、おしゃれなランダム模様になります。

この模様を、恋心の乱れ模様に見立てたのですね。

ここまでが「乱れ」を導く「序詞」です。

たれゆゑに

「誰」「故」ですね。「故」は因果関係を意味しますので、ここでは「いったい誰のせいで」などと訳すことになります。

誰のせいで心が乱れてしまったのかわからないのだな。

いやまあ、暗に「あなたのせいですよ」という含意がある言い方になっていますね。

最後に「私(のせい)ではない」と言っていますのでね。

ああ~。

よく学校の先生なんかが、遠足のときに遅刻した生徒に、「いったい誰のせいでみんなの出発が遅れたのかな~。先生のせいじゃないよね~」って聞くようなやつだね。

まあ、使い方としてはそうですね。

乱れそめにし

「そめ」は四段動詞「そむ」の連用形です。

「染め」「初め」「掛詞」ですね。

布が「染まる」ことと、気持ちが乱れ「はじめる」ことが掛けられているのだな。

そうですね。

「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形で、

「し」は、過去の助動詞「き」の連体形です。

「乱れ始めてしまっ」ということですね。

我ならなくに

「なら」は、断定の助動詞「なり」の未然形です。

「なら」「なり」「なる」「なれ」といったひらがなの識別についてはこちら。

「なくに」の「な」は、「打消」の助動詞「ず」の古い形の未然形です。そこに、接尾語の「く」と、接続助詞の「に」がついています。

活用語の語尾に「く」をつけて名詞っぽくすることを「ク語法」と言いまして、たとえば「言ふ」+「く」で「言はく」となると、「言うこと」という解釈になります。

「ず」+「く」の「なく」という表現は、「ないこと」と言っていることになります。そこに「に」をつけた「なくに」という表現は、和歌でしばしば見られる表現で、「詠嘆的打消」などといわれます。

逆接めいた「に」をつけることで、「ないことなのになあ……」と、もっと言いたいことがあるかのような表現になります。

俺の心が乱れているのは、俺のせいじゃないことなのになあ……。

って言っているんだね。

「あなたが私の心を乱したのですよ」と暗に言っているわけですね。

ああ~。

「誰のせいなのかなあ。僕のせいじゃないのになあ……」という表現によって、「素敵なきみのせいだよ」とか「いとしいきみのせいだぞ」って言いたいわけなんだな。

ざっくり言うとそういうことですね。