次の傍線部を現代語訳せよ。
さて、このほどの事どもも、こまやかに聞え給ふに、夜深き鳥も鳴きぬ。来しかた行末かけて、まめやかなる御物語に、このたびは鳥もはなやかなる声にうちしきれば、明けはなるるにやと聞え給へど、夜深く急ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙白くなれば、忘れがたき事など言ひて、立ち出で給ふに、梢も庭もめづらしく青みわたりたる卯月ばかりのあけぼの、艶にをかしかりしを思し出でて、桂の木の大きなるが隠るるまで、今も見送り給ふとぞ。
現代語訳
さて、最近のことなどを、こまごまと申し上げなさるうちに、(夜明け前に鳴く)一番鶏が鳴いた。過去のこと将来のことにわたって、こまやかなお話に(あわせて)、今度は鶏も鮮やかな声で繰り返し鳴くので、夜がすっかり明けるのかと申し上げなさるが、夜深いうちに(帰りを)急がなければならない場所柄でもないので、少しゆっくりしていらっしゃると、戸の隙間が白くなるので、忘れがたいことなどを言って、出発しなさる時に、梢も庭も新鮮に【目新しく】一面に青々と茂っている四月ごろの明け方(の様子)が、優美で趣深かったことを(今でも)思い出しなさって、(その家の近くを通るときは)大きな桂の木が【桂の木であって、しかも大きな木が】隠れるまで、今もお見送りになるということだ。
ポイント
めづらし 形容詞(シク活用)
「めづらしく」は、形容詞「めづらし」の連用形です。
動詞「愛づ」が形容詞化したものです。
「めづ」が、「ほめたたえる・賞賛する・かわいがる」といった意味であり、その形容詞である「めづらし」は、「賞賛に値する」という意味になります。訳は「すばらしい」とすることが多いのですが、中世からは「目新しい・新鮮だ・めったにない」という意味のほうにシフトしていきますので、『徒然草』ですと、後者のほうで訳したほうがしっくりきます。
ただ、「ほめる気持ち」が消えているわけではないので、何かをほめる文脈で使用することが多いですね。
わたる 動詞(ラ行四段活用)
「わたり」は、動詞「渡る」の連用形です。
ここでが、「青みわたる」となっており、補助動詞としての役割です。
「渡る」は、「移動する」という意味ですが、補助動詞として用いると、「空間的に移動していく広範性」や、「時間的に移動していく継続性」を意味するものとして機能します。
空間的に使用しているのであれば、「一面に~する」などと訳します。
時間的に使用しているのであれば、「ずっと~し続ける」などと訳します。
ここでは「梢」や「庭」における「青」が空間的に広がっているという文意になりますので、「一面に青みがかっている」などと訳すことができます。
さて、ここで「青」が何を意味しているかというと、「卯月(4月)」ということから「初夏の新緑」を指していると考えられます。そこで、「一面に青々と茂っている」などのように少し意訳すると、いっそう場面がわかりやすいですね。
たり 助動詞
「たる」は、助動詞「たり」の連体形です。
「たり」は、「存続」「完了」の助動詞ですが、「存続」と「完了」の区別はかなりあいまいです。
「~ている」という訳ができる場合は「存続」としておきましょう。
卯月 名詞
「卯月」は、名詞です。
陰暦(旧暦)の月の異名と季節はセットにしておきましょう。
1月 睦月 初春
2月 如月 仲春
3月 弥生 晩春
4月 卯月 初夏
5月 皐月 仲夏
6月 水無月 晩夏
7月 文月 初秋
8月 葉月 仲秋
9月 長月 晩秋
10月 神無月 初冬
11月 霜月 仲冬
12月 師走 晩冬
あけぼの 名詞
「あけぼの」は、名詞「曙」です。
以下のことばがどのあたりの時間帯を指しているのかは、おさえておきたいところです。
あかつき (夜明け前)
あけぼの・かはたれどき (明け方)
つとめて (早朝・翌朝)
あした (朝・翌朝)
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ひねもす (一日中)
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ゆふ・たそかれ (夕暮れ)
よひ (夜に入ってすぐ)
よは (夜中)
よもすがら (一晩中)
ひとつまえの演習回でも話しましたが、「かはたれどき」は、「彼は誰れ時」であり、「たそかれ」は「誰そ彼れ」です。
どちらも、「そこに誰かがいることはわかるが、それが誰であるかまではわからない」という状況を意味しています。つまり、うすぼんやりとしていて、明るいとも暗いともいえない時間帯なのですね。
「かはたれどき」は明け方、「たそかれ」は夕方に使われました。