あつぱれ、よからう敵がな。(平家物語)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

五騎がうちまで巴は討たれざりけり。木曾殿、「おのれはう疾う、女なれば、いづちへも行け。われは討ち死にせんと思ふなり。もし人手にかからば自害をせんずれば、『木曾殿の、最後のいくさに女をせられたりけり。』なんど言はれんことも、しかるべからず。」とのたまひけれども、なほ落ちも行かざりけるが、あまりに言はれ奉りて、「あつぱれ、よからうかたきがな。最後のいくさして見せたてまつらん」とて、控へたるところに、武蔵むさしの国に聞こえたる大力だいぢから御田おんだ八郎師重はちらうもろしげ、三十騎ばかりで出で来たり。巴、その中へ駆け入り、御田八郎に押し並べ、むずと取つて引き落とし、わが乗つたるくら前輪まえわに押しつけて、ちつとも動かさず、首ねぢ切つて捨ててんげり。その後物の具脱ぎ捨て、東国の方かたへ落ちぞ行く。

平家物語

現代語訳

木曽殿は、「お前は早く早く、女だから、どこへでも行け。自分は討ち死にしようと思うのだ。もし人手にかかるならば自害をしようと思っているので、木曾殿が最後の戦いに女を連れておられたなどと言われるようなことも、よいはずがない。」とおっしゃったけれども、(巴は)そのまま落ちて行かなかったが、あまりに何度も言われ申して、「ああ、よい敵がいるといいなあ。最後の戦いをしてお見せ申しあげよう。」と言って、控えているところに、武蔵の国で評判の大力の、御田八郎師重が、三十騎ほどで出て来た。巴は、その中へ駆け入り、御田八郎に(馬を)並べて、(御田を)むんずとつかんで(馬から)引き落とし、自分の乗った鞍の前輪に押しつけて、少しも身動きさせず、首をねじ切って捨ててしまったのだった。(巴は)その後、武具を脱ぎ捨て、東国の方へ落ち延びていく。

ポイント

あつぱれ

感動詞「あはれ」に、促音「つ」が混入して強調された語です。

「あはれ」は悲しい場面で使用することが多いのですが、「あっぱれ」は、強く感動した時や、強く相手をほめたいときなど、ポジティブな意味で使うことが多いです。

天晴あっぱれ」というのは当て字ですね。

よから う 敵

形容詞「よし」の未然形「よから」に、「仮定・婉曲」の助動詞「む」がついた「よからむ」です。

「む」が「う」となっているのは「ウ音便」です。

助動詞「む(ん)」の「文中連体形」の用法は、

「仮定」でとれば、「よいとすればその敵」

「婉曲」でとれば、「よいような敵」

という訳し方になります。

ただ、文中連体形の「む(ん)」は、訳出しなくても問題ありませんので、ここでは「よい敵」と訳しても大丈夫です。

がな

「願望」を表す終助詞「がな」です。

「~がある(いる)といいなあ」と訳します。

もともとは「もが」という終助詞でしたが、終助詞「も」を伴い、「もがも」と表現することが多く、やがてその「も」が「な」に代わって、「もがな」と表現されるようになっていきました。

そのうち先頭の「も」が落ちた「がも」「がな」という言い方が発生します。「がも」はそのうち使用されなくなっていきましたが、「がな」はずっと使われ続けました。