副詞 ― 状態の副詞・程度の副詞・呼応(陳述)の副詞 ―

今日は「副詞」について学びましょう。

やってやるぜ。

どんとこい。

やる気に満ちあふれているな。

では、まず「副詞」を定義します。

はじめのうちは、口語文法(現代文法)で話します。

副詞の定義

◆自立語である。   (文節の先頭になる)
◆活用しない。    (語尾が変化しない)
◆主に用言を修飾する。(主に用言に係っていく)

 *副詞の基本的なはたらきは「用言を修飾する」ことだが、すべてがそうではない。
 (用言以外を修飾することもある)

まったくイメージがわかないな。

すでにわからない。

あきらめるのがとても早いですね。

「まったく」「すでに」「とても」は副詞です。

いきなりなにかが来たぞ。

どうやら副詞を指摘するお方のようだ。

「いきなり」「どうやら」は副詞です。

このお方が指摘している単語は、文節の先頭に来るもので、単独で取り出しても意味がわかります。また、すべて「ことばのかたち」が固定されていますね。(語尾が変化しません)

このように、「副詞」は、「自立語」「活用しない」品詞です。

そして、副詞のほとんどは「用言(動詞・形容詞・形容動詞)」を修飾します。

「ほとんどの場合」ということは、そうじゃないこともあるのか。

たまにあります。

たとえば、

副詞   副詞    動詞(用言)
もっと  じっくり  取り組もう。
     
という文の場合、「じっくり」は「取り組もう」という用言を修飾していますが、その上の「もっと」は、「じっくり」という副詞を修飾しています。

「副詞を修飾する副詞」というものもあるのだな。

名詞(体言)を修飾することもあります。

たとえば、

もっと に 行こう。

さらに に 飛んで行った。

ずっと の ことだ。

といった文の場合、「もっと」は「前」を修飾しています。「さらに」は「上」を修飾しています。「ずっと」は「昔」を修飾しています。

「体言を修飾する副詞もある」ということだな。

そのとおりです。

ただ、副詞の基本的な定義はあくまでも用言を修飾する 活用しない 自立語です。

他の副詞を修飾するケースや、体言を修飾するケースは、応用的なものだと考えておきましょう。

そう考えると副詞ってたくさんあるな。

カエルがゲコゲコ鳴く。

「ゲコゲコ」も副詞だな。

ひさががくがく震える。

「がくがく」も副詞だな。

そうですよ。

擬声語(擬音語)・擬態語といったものは、すべて「副詞」です。

雨がザーザー降る。

星がきらきら瞬く。

ハンカチをスッと取り出す。

などはすべて「副詞」ですね。

なお、擬声語(擬音語)・擬態語には「と」という語が付くこともありますが、その場合、「と」まで含めて一語の副詞とみなします。

副詞の種類

ではこのへんから古語で考えていきましょう。

「副詞」には、ざっくり分けて3つの区別があります。

①状態 おのづから・かたみに・なべて など

②程度 いと・いとど・げに・あまた など

③呼応(陳述・叙述) (~ず)・(~そ)・よも(~じ) など

です。

だんだん難しくなってきたぞ。

状態の副詞

擬声語・擬態語

ある言葉(主に用言)に対して、それがどんな様子であるのか付け加えている副詞は「状態の副詞」です。

擬声語(擬音語)・擬態語は「状態の副詞」です。

門をほとほととたたけば、
夜のほのぼのと明くるに、

といったものですね。

前述したように、「擬声語・擬態語」には、「〇〇と」というように「と」がつくことがありますが、その場合は「と」まで含めて「一語の副詞」と考えます。

ほうほう。

指示副詞

何かを指示している副詞は、「状態の副詞」に分類されます。

かくあやふき枝の上にて、(このように危ない枝の上で、)
しかぞ住む (そのように住む)

といったものですね。

時を表すもの(時の状態を表すもの)

「時」について、「速さ/早さ/遅さ/長さ/短さ/過去/未来」などを表す副詞は、「状態の副詞」に分類されます。

とく申せ。(はやく申し上げよ。)
いささかに雨降る。しばしありてやみぬ。(ほんの少し雨が降る。しばらくしてやんだ。)
かねて後ろに迫れり。(あらかじめ背後に迫っている。)

といったものですね。

程度の副詞

数や量の「多/少」とか、物体の「大/小」とか、長さの「長/短」とか、面積の「広/狭」といったものの「程度」を示しているのは「程度の副詞」です。

いと・いとど・いささか・きはめて・すこし・げに・よに・ただ

といったものですね。

「状態」「程度」の見分けが難しいな。

「どのように」を示しているのが「状態の副詞」で、「どのくらい」を示しているのが「程度の副詞」です。

難問だぞ。

最初のほうでお話した、「副詞の応用的な使い方」を思い出しましょう。

副詞は基本的には「用言」を修飾するのですが、「他の副詞」を修飾したり、「名詞(体言)」を修飾したりもします。

そういった「応用的な使い方」ができるのは「程度の副詞」です。

① いと かう きびはなるほどは、(本当に このように幼いうちは、 )

② ただ ひとり のみぞ食ひける。(たった 一人だけで食べた。)

といったものですね。

①の「いと」は、副詞「かう」を修飾していて、②の「ただ」は、名詞「ひとり」を修飾しているということだな。

なお、「程度の副詞」が「名詞」につく場合、その名詞は、「方向」「場所」「時間」「数量」などを示すものがほとんどです。

そういうものではない通常の名詞に「程度の副詞」がつくことはまずありません。

ちょっと弓

とか

ずっと川

とか変だもんな。

呼応(陳述・叙述)の副詞

ある副詞が存在することによって、その下のほうに決まった言い回しを導く場合があります。

たとえば、

よも あら 。 (まさかあるまい。)

といった文です。

「よも」という副詞は、「じ」ということばを導きます。

「よも」が「じ」をんで、「じ」がその呼びかけにえているような関係なので、「呼応(こおう)の副詞」と言います。

「陳述(ちんじゅつ)の副詞」ということもあります。

「陳述」とは何だ?

これは非常に難しいことばで、複数の意味があるのですが、文法の世界では「書き手や話し手の気持ちがわかるように書かれている文の述べ方」のことです。

普通の文であれば、

私が行こ。(意志)

きみの本です。(疑問)

こんなことはできない。(否定・打消)

花が咲くだろう。(推量)

といったように、

書き手・話し手がどういうつもりでその文を述べているのかは、最後のほうでわかるんです。「意志を表すつもり」で述べているのであれば「意志の陳述」、「疑問を表すつもり」で述べているのであれば「疑問の陳述」などと言うことがあります。

さて、

よも あら

という文については、最後の「じ」という部分によって、この文は「打消推量の陳述」であることがわかります。

けれども、この文の場合、「よも」がある時点で、「打消推量の陳述」であることが予測できませんか。

わかるわかる。

まさかある!

って言わないもんな。

そうですよね。

「よも~じ(まさか~まい)」という「述べ方」は、通常はセットで用いられますから、「よも」と言った時点で、「あ、最後に『じ』がくるぞ!」ということがわかるのですね。

日本語は、本来は最後まで聞かないと文の意味がわからないはずなのですが、「陳述の副詞」があると、どんな構造の文になるのかだいたいわかるのです。

つまり、本来であれば日本語は文末に気持ちが表れやすいのに、「陳述の副詞」があると、すでにそこに気持ちがこもっているようなものなのです。

ああ~。現代語でも、

もし雨が降ったら休もう。

まるで亀のようなタワシだ。

まったくできない

なんていう表現は、「もし~たら」「まるで~ような」「まったく~ない」とセットで用いられるから、最初の副詞がある時点で、どういう陳述になるのかがだいたいわかるね。

はい。

そういう「決まったセットになる表現」の「副詞」の部分を「陳述の副詞」といいます。

「呼応の副詞」とはどう違うんだ?

「呼応の副詞」も「陳述の副詞」も、同じ現象を指しています。文法書によって呼び方が違うだけなので、

「呼応の副詞」=「陳述の副詞」

と考えてください。

なお、これを「叙述の副詞」と呼ぶこともあります。

「呼応の副詞」=「陳述の副詞」=「叙述の副詞」です。

形容詞・形容動詞の連用形が、やがて副詞とみなされることも多い。

「形容詞・形容動詞」の連用形が、用言の修飾語として用いられている場合、それは「副詞」のはたらきとほぼ同じなので、「副詞的用法」と呼ぶことがあります。

この「副詞的用法」が定着していって、もともとの「形容詞・形容動詞」とは意味が少しずれたり、意味が狭まったりすると、辞書には「副詞」として載ることになります。

たとえば、次のようなものです。

形容詞「とし」の連用形「とく」
形容詞「はやし」の連用形「はやく」
形容動詞「とみなり」の連用形「とみに」
形容動詞「いかなり」の連用形「いかに」

これらを、「形容詞・形容動詞の連用形の副詞的用法」と考えるべきなのか、「副詞」と考えるべきなのかについては、文脈によって判断が分かれますし、区別できない例文もたくさんありますので、こだわりすぎないようにしましょう。