立石寺 『奥の細道』 現代語訳

松尾芭蕉『奥の細道』より「立石寺」の現代語訳です。

山形領やまがたりやうに立石寺りふしやくじといふ山寺やまでらあり。~

山形領やまがたりやう立石寺りふしやくじといふ山寺やまでらあり。慈覚大師じかくだいし開基かいきにして、ことに清閑せいかんの地なり。

山形領に立石寺という山寺がある。慈覚大師が開いた寺で、たいへん清らかで静かな所である。

一見いつけんすべきよし、

一見いつけんすべきよし、人々のすすむるによりて、尾花沢おばなざはよりとつて返し、その間七里しちりばかりなり。

一度見るほうがよいと、人々が勧めることによって、尾花沢から引き返し、その間は七里ほど(の距離)である。

日いまだ暮れず、~

日いまだ暮れず。ふもとのぼうに宿借りおきて、山上さんじやうの堂に登る。いはいはほを重ねて山とし、松柏しようはくとしり、土石どせき老いて苔滑らかに、岩上がんしやう院々ゐんゐん扉を閉ぢて、物の音聞こえず。岸を巡り岩をはひて、仏閣をはいし、佳景かけい寂寞じゃくまくとして心澄みゆくのみ覚ゆ。

日はまだ暮れていない。ふもとの宿坊に宿を借りておいて、山上の堂に登る。岩に岩が積み重なって山となり、松や柏(などの常緑樹)が年を経て、土や石も古びて苔が滑らかに(覆っていて)、岩上の院たち(複数の堂)は扉を閉じていて、物音も聞こえない。断崖を回り、岩を這って、仏堂を拝むと、すばらしい景色はひっそりと静まりかえって、ただ心が澄んでゆくように感じられる。

閑しづかさや ~

しづかさや いはにしみ入る せみこゑ

なんという静かさだ 蝉の声が 岩にしみ込んでいくように感じられる (それほど清閑である)