用光と白波 『今鏡』 現代語訳

『今鏡』より、「用光と白波」の現代語訳です。

『十訓抄』に同じ素材から作られた話があります。

なお、「沖つ白波」とは、「沖に立つ白い波」のことですが、「海賊」の比喩的表現にも使用されます。ここではその「海賊」を意味しています。

用光が、~

用光が、相撲の使いに西の国へ下りけるに、吉備国のほどにて、沖つ白波立ち来て、ここにて命も絶えぬべく見えければ、褐衣、冠などうるはしくして、屋形の上に出でて居りけるに、白波の船漕ぎ寄せければ、その時、用光篳篥ひちりき取り出だして、うらみた声に、えならず吹きすましたりければ、白波ども、おのおの悲しみの心おこりて、かづけ物ものどもをさへして、漕ぎ離れて去りにけりとなむ。

用光が、相撲の使いとして西の国へ下向した時に、吉備国のあたりで、海賊が現れ来て、(用光は)ここで命もきっと絶えるはずと思われたので、褐衣、冠などをきちんと整えて、(船の)屋形の上に出て座っていたところ、海賊の船が漕ぎ寄せてきたので、その時、用光は篳篥を取り出して、悲しみ嘆くような音色で、何とも言えないほど(すばらしく)吹き澄ましたので、海賊たちは、それぞれ悲しく思う気持ちが生じて、褒美の品々まで渡して、漕ぎ離れて去ってしまったと(いう)。

さほどの理もなき武士さへ、~

さほどの理もなき武士もののふさへ、情かくばかり、吹き聞かせけむもありがたく、また昔の白波は、なほかかる情なむありける。

それほどの道理をわきまえない武士【海賊】ですら、(用光に)情けをかけてしまうほど、吹いて聞かせたとかいうこともめったになく、また昔の海賊は、やはりこのような情趣を解する心があった。