故少納言入道、人に会ひて、『続古事談』現代語訳

本文

 故少納言入道、人に会ひて「敦親はゆゆしき博士かな。ものを問へば、知らず、知らずと言ふ」と言はれけり。それを問ひたる人、「知らずと言はんは、何のいみじからんぞ」と言ひければ、「身に才智さいちある者は、知らずと言ふことを恥ぢざるなり。実才なき者の、よろづのことを知り顔にするなり。すべて学問をしては、皆のことを知りあきらむることと人の知れるはひがことなり。大小事だいせうじをわきまふるまでするを、学問のきはめとは言ふなり。それを知りぬれば、難儀を問はれて、知らずと言ふを恥とせぬなり」とぞ言はれける。

続古事談

現代語訳

故少納言入道、人に会ひて「敦親はゆゆしき博士かな。ものを問へば、知らず、知らずと言ふ」と言はれけり。それを問ひたる人、「知らずと言はんは、何のいみじからんぞ」と言ひければ、

故少納言入道(藤原通憲みちのり)は、人に会って「敦親あつちか(藤原敦親)はすばらしい博士だなあ。物事を質問すると、知らない、知らないと言う」とおっしゃった。そのことについて質問した人が、「知らないと言うようなことは、何がすばらしいのだろうか」と言ったところ、

「身に才智さいちある者は、知らずと言ふことを恥ぢざるなり。実才なき者の、よろづのことを知り顔にするなり。すべて学問をしては、皆のことを知りあきらむることと人の知れるはひがことなり。大小事だいせうじをわきまふるまでするを、学問のきはめとは言ふなり。それを知りぬれば、難儀を問はれて、知らずと言ふを恥とせぬなり」とぞ言はれける。

「身に才智を備える者は、知らないということを恥じないのである。本当の才智がない者が、あらゆることを知ったふうな顔をするのである。すべて学問をして、皆のことを知り明らかにすること(ができる)と人が理解しているのは間違いである。大事と小事を見極めるまでするのが「学問の極め」と言うのである。(敦親は)それを知っていたので、難しいことを問われて、知らないと言うことを恥としないのである」とおっしゃった。