very
意味
(1)たいそう・とても
(2)本当に・まったく
(3)たいして(~ない)・それほど(~ない)・あまり(~ない)
(3)は下に打消表現を伴うときの訳し方です。
ポイント
形容詞「甚し(いたし)」と同根の語と言われています。
「いと」は、形容詞や形容動詞を修飾することが多く、その場合、「状態・性質」がはなはだしいと言っていることになります。
一方、形容詞「いたし」の連用形「いたく(いたう)」のほうは、具体的な「動作・作用」のはなはだしさを述べる場合が多いです。
この「いたく(いたう)」を副詞と考えることもあり、そうすると「いと」と「いたく(いたう)」は意味的には類義語のような関係になりますね。
いとをかし
いとおもしろし
いとあはれなり
とか、よく見るもんね。
どれも、「状態・性質」を修飾していますね。
でも、このあいだの試験で、
いとやむごとなききはにはあらぬが
を、「たいそう高貴な身分ではないが」って訳したら△だったな。
「ぬ」が、「打消」の助動詞「ず」の連体形だからですね。
「いと○○ず」という表現は、「○○」という状態そのものを打ち消しているのではなく、「程度のはなはだしさ」を打ち消していることになります。
そのため、現代語訳としては、「それほど~ない」「たいして~ない」とするほうがいいですね。
ああ~。
ということは、「いとをかしからず」なんて言う場合、「趣きがないわけじゃないけど、それほどでもない」っていうことなんだな。
そういうことになります。
例文
三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。(竹取物語)
(訳)三寸(約9cm)ほどである人が、たいそうかわいらしい様子で座っていた。
乗りたる馬、いとかしこしとも見えざりつれども、(宇治拾遺物語)
(訳)乗っている馬は、それほど立派にも見えなかったが、
「打消表現」を伴っているから、「程度のはなはだしさ」を否定していることになるんだな。
今の御世には、いと親しくおぼされて、いと時の人なり。(源氏物語)
(訳)今の帝は、(柏木を)たいそう親しみがあるとお思いになって、(柏木は)本当に【まったく】時流に乗った人である。
通常の「いと」は、ある形容詞や形容動詞に対して、シンプルに「程度のはなはだしさ」を示しますが、この例文の2つめの「いと」などは、語り手の感慨や詠嘆の気持ちを交えて、句や節といった「一定のまとまり」全体に係っていくような使い方をしています。
このような使い方の場合、「本当に」「まったく」などと訳せるといいですね。