信濃国筑摩の湯に観音沐浴の事 『宇治拾遺物語』 現代語訳

今は昔、~

今は昔、信濃国に筑摩の湯といふところに、よろづの人のあみける薬湯あり。そのわたりなる人の夢に見るやう、あすの午の時に観音湯あみたまふべしといふ。いかやうにてかおはしまさんずると問ふに、いらふるやう、とし三十ばかりの男のひげ黒きが、あやゐ笠きて、ふし黒なるやなぐひ、皮まきたる弓持ちて紺のあを着たるが夏毛のむかばきはきて、葦毛あしげの馬に乗りてなん来べき。それを観音と知りたてまつるべしといふと見て夢さめぬ。

今は昔【今となっては昔のことだが】、信濃国に筑摩の湯というところに、あらゆる人が浴した薬湯がある。そのあたりにいる人が夢に見ることには、明日の午の時【お昼ごろ】に観音が湯あみをしなさるだろうという。どのようにいらっしゃるだろうと尋ねると、(夢のお告げが)答えることには、年齢は三十歳くらいの男でひげが黒い者が、あやゐ笠【い草を綾に編んだ笠】をかぶって、ふし黒であるやなぐい【矢を入れて背に負う武具】、皮をまいている弓を持って、紺のあを【紺の狩衣】を着ているのが夏毛のむかばき【馬に乗る際に腰に装着して脚や袴を保護する装具】をはいて、葦毛の馬に乗って来るだろう。それ【その人物】を観音と知り申し上げるのがよい【わかり申し上げよ】と(お告げが)言うと(夢に)見て、夢がさめた。

おどろきて、~

おどろきて、夜明けてひとびとに告げまはしければ、ひとびと聞きつぎてその湯に集まることかぎりなし。湯をかへ、めぐりを掃除し、しめをひき、花香を奉りて、居集まりて待ちたてまつる。

驚いて(はっと目が覚めて)、夜が明けて、人々に告げまわったところ、人々は聞き継いで、その湯に集まることに際限がない。湯を入れ替え、あたりを掃除し、(聖域を示す)しめ縄をひいて、花や香をお供え申し上げて、集まってお待ち申し上げる。

やうやう午の時すぎ、~

やうやう午の時すぎ、未になるほどに、ただこの夢に見えつるにつゆたがはず見ゆる男の、顔よりはじめ着たるもの、馬、何彼にいたるまで夢に見しに違はず。よろづの人、にはかに立ちてぬかをつく。この男大いに驚きてこころもえざりければ、よろづの人に問へども、ただ拝みに拝みてそのことといふ人なし。僧のありけるが手をすりてぬかにあてて拝みいりたるがもとへ寄りて、こはいかなることぞ。おのれを見てかやうに拝み給ふはと、こなまりたる声にて問ふ。この僧、人の夢に見えけるやうを語る時、この男いふやう、おのれ、さいつころ狩りをして馬より落ちて右の腕をうちをりたれば、それをゆでんとてまうできたるなりといひて、と行きかう行きするほどに、人々尻に立ちて拝みののしる。

ようやく午の時が過ぎて、未の刻になるくらいに、まさにこの夢に見えた者にまったく違わず見える男が、顔よりはじめ着ているもの、馬、何それにいたるまで夢に見たものに違わない。すべての人が、たちまち立って額をつく。この男おおいに驚いて理解できなかったので、あらゆる人に尋ねるけれども、ただ拝むばかりでこういうことだ【お告げがあったのだ】と言う人はいない。そこにいた僧で、手を擦って額にあてて拝みこんでいる者のもとに寄って、「これはどのようなことか。自分を見てこのように拝みなさるのは」と、少しなまった声で尋ねる。この僧が、人の夢に見えたことを語る時、この男が言うことには、「自分は、さきごろ狩りをして馬から落ちて右の腕を折ったので、それを(お湯で)茹でようとして参ったのである」と言って、あちらへ行きこちらへ行きなどするうちに、人々はその後ろについて大声で拝む【拝みさわぐ】。

男しわびて、~

男しわびて、わが身はさは観音にこそありけれ。ここは法師になりなんと思ひて、弓、やなぐひ、太刀、刀きりすてて、法師になりぬ。かくなるを見て、よろづの人泣きあはれがる。さて見知りたる人いできていふやう、あはれ、かれは上野の国におはする馬頭主にこそいましけれといふを聞きて、これが名をば馬頭観音とぞいひける。

男はすることに困って【どうしていいか困惑して】、「私の身は、ということは、観音であった。ここは法師になってしまおう」と思って、弓、やなぐひ、太刀、刀を投げ捨てて、法師になった。このようになるのを見て、すべての人が泣いて感動する。そうして(この男を)見知っている人が出てきて言うことには、「ああ、彼は上野の国にいらっしゃる馬頭主でいらっしゃったことだ」と言うのを(人々は)聞いて、この男の名を馬頭観音と言った。

法師になりてのち横川にのぼりて、~

法師になりてのち横川にのぼりて、かてう僧都の弟子になりて、横川に住みけり。その後は土佐国にいにけりとなん。

法師になった後横川【比叡山の横川】にのぼって、覚朝僧都の弟子になって、横川に住んだという。その後は土佐国に行ったということだ。