おほす【仰す】 動詞(サ行下二段活用)

意味

① 命じる・言いつける(お命じになる・お言いつけになる) *ほぼ尊敬語  

② おっしゃる *尊敬語

ポイント

動詞ふ」に、使役の助動詞「す」がついて、「おほす」となりました。

そのため、根本的な意味は「(責任・任務・使命などを)背負わせる」ということであり、「命じる」「言いつける」などと訳します。

もともとは敬語ではありませんが、通常、「責任・任務・使命」などを与える側の人間のほうが偉いので、実質的には上下関係を成立させる動詞になります。そのことから、次第に敬語のように扱われていきました。

おほす」という漢字で書かれているやつなんかは、もうほとんど敬語だよね。

「命じる」の意味が薄れて、「おっしゃる」という意味で用いられるようになるころには、完全に敬語(尊敬語)としての扱いになっていると考えられますね。

『枕草子』あたりの「おほせらる」は、すでに「お命じになる」というニュアンスがだいぶ薄れてきて、「おっしゃる」という意味合いで使用されているものが多いです。

「らる」は「尊敬」の意味なんだな。

はい。

「仰せらる」の「らる」は「尊敬」の助動詞です。

平安時代には、「尊敬」の意味の「らる」が「尊敬語」の直後につくことはないのですが、先ほど見たように、「おほす」はもともとが尊敬語ではなく、事後的に尊敬語になっていった動詞なので、「尊敬語」+「尊敬の助動詞」という特殊な配列が誕生したのですね。

ああ~。

①最初は、「おほす」という動詞自体に敬意が込められているわけでなかったから、

②「おほせらる」という組み合わせが成り立ったんだけど、

③「命じる」のは偉い人だから、「おほす」自体が「尊敬語」のように認識されていって、

④特に「おっしゃる」という意味で用いられている「おほせらる」の場合、

⑤「尊敬語」+「尊敬の助動詞」という観点から「最高敬語(二重尊敬)」と言える。

⑥ついには、「おほす」のみで、「おっしゃる」という尊敬語として使用されはじめる。

ということなんだな。

完璧です。

⑥は平安末期くらいからですね。

やったぞ。

なお、こういった例外をのぞき、平安時代には「尊敬語」の直後に「尊敬」の「る・らる」がつくことはありませんでしたが、鎌倉時代にはいると、そうでもなくなってきます。

代表的には、尊敬語「ご覧ず」「尊敬」の助動詞「らる」がついた「ご覧ぜらる」という用法ですね。これは「最高敬語(二重尊敬)」です。

あるいは、尊敬語「おぼす」に助動詞「る」がついた「おぼさる」という用法ですね。「おぼさる」の「る」は通常「自発」で処理しますが、鎌倉時代以降に、「①とても偉い人」が、「②意図的に考えている」シーンでの「おぼさる」は、「る」を「尊敬」でとっても間違いとは言いきれません。

ふむふむ。

例文

西の対に渡りたまひて、惟光に車のこと仰せたり。(源氏物語)

(訳)(源氏は)西の対の屋にお渡りになって、惟光に車のことをお命じになった。

平安時代には、「仰す」という単体での使用は、「命じる」という行為を意味しています。

基本的に「上位者から下位者」に指示するわけですから、「尊敬語」のような扱いになっていきます。そのため、「命じになる」などのように、敬意をこめて訳すことも多いです。

「少納言よ。香炉峰の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。(枕草子)

(訳)(中宮様が)「少納言よ。香炉峰の雪はどうであろう。」とおっしゃるので、(人に)御格子を上げさせて、御簾を高く上げたところ、(中宮様は)お笑いになる。

平安時代には、「仰せらる」というまとまりで、「おっしゃる」という意味として使用されました。

「尊敬語」+「尊敬の助動詞」であり、いわゆる「最高敬語(二重尊敬)」の扱いです。

法皇「あれはいかに」と仰せければ、大納言立ちかへつて、「平氏たはれ候ひぬ」とぞ申されける。(平家物語)

(訳)(後白河)法皇が、「あれはどうしたことか」とおっしゃったところ、大納言(成親)は席に戻って、「平氏が倒れました」と申し上げた。

『平家物語』くらいの時代になると、「おほす」単体で「おっしゃる」という尊敬語として扱われていきます。

この例文では、明らかに「命じている場面」ではないので、「おっしゃる」という意味で使用されています。しかも、法皇のセリフですから、「仰す」という動詞そのものに高い敬意が込められていると考えられます。