おぼす【思す】 動詞(サ行四段活用)

「思ふ」+尊敬の「す」

意味

(1)お思いになる *尊敬語

ポイント

動詞「おもふ」に、上代の尊敬の助動詞「す」がついて、「おもはす」となったものが、「おもほす」「おぼほす」「おぼす」と変化しつつ一語化しました。

成り立ちのとおり、「思ふ」の尊敬表現であり、「お思いになる」と訳します。

古文を勉強し始めたころは、おもふ」おぼす」は同じ語だと思っていたからな。

おもふ」おぼす」が別々の語だとわかったあとは、もう古文素人ではありませんよ。

「おぼす」……「お思いになる」……

無意識の行為……偉い人の行為……

……ものすごい困難にぶちあたったぞ。

どうかしましたか?

「る」っていう助動詞があるじゃないの。

「意図的でない自然な行為」⇒「自発」
「偉い人の行為」⇒「尊敬」
「行為を受け取っている」⇒「受身」
「打消し表現を伴う」⇒「可能」


という分類になりやすいという助動詞だ。

はいはい。

たとえば「おぼす」に助動詞「る」がついた「おぼさ」という表現をよく見るんだけど、この「る」「自発」か「尊敬」である場合、どっちになるんだ?

「おぼす」は、「意図的でない自然な行為」であり、かつ「偉い人の行為」になるから、「おぼさる」の「る」は、「自発」なのか「尊敬」なのか判断できないぞ!

「おぼさる」の「る」は、基本的には「自発」と考えて大丈夫です。

理由は次の通りです。

(a)「る」はもともと「自発」であり、「尊敬」は遅れて成立した用法です。

(b)そのため、「尊敬語」に、「尊敬」の意味の「る」が下接する用法は、平安時代にはほぼなく、鎌倉時代以降の用法だと考えられています。

(a)はまあまあわかったけど、(b)は異議ありだ!

どこかで「仰せらる」の「らる」は「尊敬」の助動詞だと教わったぞ。

「仰す」という「尊敬語」に、「尊敬」の意味の「らる」がくっついているじゃないか。

「仰す」にかんしては、平安中期まではまだ「単独でバリバリの尊敬語」というほどの扱いになっていないので、「尊敬」の意味の「らる」がついてもおかしくなかったのです。

くわしくはこちらをどうぞ。

ふむふむ。

「思さる」に話を戻しますと、平安時代の「おぼさる」の「る」は、通常なら「自発」であり、下に打消し表現を伴っていたら「可能」というように考えておきましょう。

鎌倉時代以降の「おぼさる」の「る」は、「尊敬」とみなしたほうがよさそうな用法もありますが、それも「自発」か「可能」で処理できるので、無視していいと思います。

例文

これを聞きて、かぐや姫、すこしあはれと思しけり。(竹取物語)

(訳)これを聞いて、かぐや姫は、少し気の毒だとお思いになった。

さらに、さて過ぐしてむとおぼさず。(源氏物語)

(訳)まったく、そのままにしてしまおうとはお思いになることができない。

このように、助動詞「る」を伴い、「おぼさる」とか「おぼされず」というセットになることも多いです。

「る」は下に打消表現を伴う場合「可能」と考えて、まとまりとしては「できない」と訳しましょう。

御覧じだに送らぬおぼつかなさを言ふ方なくおぼさ。(源氏物語)

(訳)お見送りさえなさらぬ心もとなさを、(帝は)言いようもなくふとお思いになる

主体者が「帝」であるので、「る」を「尊敬」と考えたくなるのですが、平安時代において「尊敬」の「る・らる」は、「尊敬語」の真下にはこないので、この場合の「る」は、「自発」と考えます。

おぼしいづる所ありて、案内せさせて入りたまふ。(徒然草)

(訳)思い出しなさる【お思い出しになる】所があって、案内させてお入りになった。

この例文のように、「思し出づ」「思し嘆く」「おぼしみだる」「おぼしわづらふ」など、「おぼす」のあとに別の動詞がついて、「おぼし〇〇」という一語になったものも多いです。

思し出づ ⇒ 思い出しなさる
思し嘆く ⇒ 思い嘆きなさる
思し乱る ⇒ 思い乱れなさる
思し煩ふ ⇒ 思い悩みなさる

といったように、訳せばよいのですが、たとえば、「おぼしなげく」であれば「悲しみお嘆きになる」とか、「おぼしみだる」であれば「気持ちが混乱なされる」いったように、「思」ということばが訳語に出てこない場合もあります。

 

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