意味
形容動詞として
(1)やはりそうもいかない
「さすがに」のかたちで副詞的に(副詞として)
(2)そうはいってもやはり
(3)当たり前だがやはり・なんといってもやはり
ポイント
指示語「さ」+動詞「す」+上代の助詞「がに」が一語化し、「さすがに」という語がよく使われました。その後、「さすがなり」という用い方が出てきたようです。
そのことからも、「さすがに」というかたちは、副詞と区別できない用例も多いです。
ある出来事を前提として、「それはそうであるが」といったん受け止めつつも、語り手の心情としては「そうするわけにはいかない」「そうもいかない」などと、何か屈折したことを考えているときに使用することが多いです。
これ、「あいつは不良だけど、さすがに万引きまではしないだろう」とか、「あいつは頭がいいけど、さすがに100点までは無理だろう」とか、現代語でも使うよね。
まさに同じ使い方ですね。
でも、何かすごいことをした人に、「よ! さすが!」ってほめるときにも使うよね。
「さすが」という語の使い方としては、前提としての出来事を認めたうえで、「それはそう。でもさ……」という心情を表現していることになるのですね。
そのため、逆接に用いることが多いのはたしかです。
一方で、「前提を認めたうえで、目の当たりにするといっそう感激する」という賞賛の使用法もあります。
つまり、「すごいのは知っていたよ。でも、実際に見ると思っていたとおり(あるいはそれ以上に)すごい!」いう使い方もあるということです。その場合は、意味内容としては順接になりますね。
現代語の「よ! さすが!」という使い方は、こちらに近いですね。
ああ~。
ある出来事をいったんは「そのとおり」と認めて、そのうえで、「でもそういうわけにはいかない」という逆の心情を述べることが多いけれど、「実際にみるとうわさ以上だ」という感慨を語る使い方もあるということなんだな。
用例としては前者が圧倒的に多いので、「やはりそうはいかない」「そうはいってもやはり」という訳をしてみるといいですね。
何か前後関係が逆になっていないなと思ったら、「当然とはいえやはり」「当たり前だがやはり」などの訳をしてみましょう。時代が経つと、単純に賞賛を示して、強調句のように使う用法も出てきます。その場合、「なんといってもやはり」などと訳します。
例文
これや我が求むる山ならむと思ひて、さすがに恐ろしく覚えて、(竹取物語)
(訳)これが自分が探し求める山【蓬莱山】であるだろうと思って、そうはいってもやはり恐ろしく思われて、
木高き山どもの中に、もろ声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。(枕草子)
(訳)高い木々の中で、(ほととぎすとうぐいすが)ともに声をあわせて鳴いているのは、当たり前だがやはり【なんといってもやはり】趣き深い。
「さすがに」の前と後ろが「逆接」の関係になっていない場合は、前件を「それはそうだ」と認めたうえで、「実際にそのとおりだ(それ以上だ)」と実感している場面に使われやすいです。
訳はしにくいのですが、「予想していたとおりだけど、実際はなおいっそうよい」というニュアンスを生かして、「当たり前だがやはり」などと訳すのがいいですね。
シンプルに強調しているようなニュアンスであれば、「なんといってもやはり」などと訳します。
次の例文はシンプルに強調しているような使い方ですね。
我らはさすがに清和天皇の御末、八幡殿のまさしき孫ぞかし。(保元物語)
(訳)我々はなんといってもやはり清和天皇のご子孫、八幡殿のたしかな孫であるぞ。