おぼゆ【覚ゆ】 動詞(ヤ行下二段活用)

無意識のうちにそう思っている

意味

(1)(ふと・自然と)思われる・感じられる

(2)思い出される

(3)似る・似ている

(4)(他の人から)思われる・評価される

ポイント

動詞「おもふ」に上代の助動詞「ゆ」がついて、「おもはゆ」になり、「おもほゆ」を経て「おぼゆ」と一語化したものです。

「ゆ」は「自発・受身」の意味がありましたが、平安時代には動詞の一部に残っただけで、助動詞としてはなくなりました。代わりに用いられたのが「る」です。

そのことから、「おぼゆ」は、「おもふ」に「自発」「受身」のニュアンスを付け加えて理解するとよいとされます。

とはいえ、肯定文の場合、ほとんどは「自発」の意味で、「思われる」と訳せばよいケースが多いです。

否定文の場合、「思い出せない」といったように、「可能」の意味合いが含まれることがありますが、多くはありません。

上代の「ゆ」は、助動詞「る」の前身ということだけど、「尊敬」の意味はないんだな。

「尊敬」の意味は、「ゆ」が「る」に変遷してしばらくしてから発生したものです。

したがって、「おぼゆ」の「ゆ」には尊敬の意味合いはありません。

「雲を見て、わたあめのことが思われる」なんて言う場合、実質上「雲」と「わたあめ」が似ているということだから、(3)のような意味になるんだな。

まさにそういうことです。

シンプルに「おぼゆ」という場合、たいていは「思われる・感じられる」ということですが、たとえば、「ある人物(Aさん)」を見て、「その人の親族(Bさん)のことをおぼゆ」などと言う場合、AさんとBさんが「似ている」からこそ「思われる・思い出される」わけですから、そのまま「似ている」と訳すこともあります。

例文

年よるまで石清水を拝まざりければ、心憂くおぼえて、(徒然草)

(訳)年を取るまで石清水八幡宮を参拝しなかったので、残念に思われて【感じられて】、

尼君の見上げたるに、少しおぼえたるところあれば、子なめりと見給ふ。(源氏物語)

(訳)尼君の見上げた顔に、少し似ているところがあるので、(尼君の)子であるようだと御覧になる。

おのづから軽き方にぞおぼえ侍るかし。(源氏物語)

(訳)自然と軽いものに思われますよ。