あまぐもにそる鷹 『蜻蛉日記』 現代語訳

『蜻蛉日記』より、「あまぐもにそる鷹」の現代語訳です。

テキストによっては「鷹を放つ」「鷹」などというタイトルです。

「藤原兼家」は、「時姫」とのあいだに「道隆」という長男がおりましたが、「藤原倫寧ともやすむすめ」とのあいだにも「道綱」という次男がおりました。

この「倫寧のむすめ」こそが『蜻蛉日記』の作者です。ただ、作者名としては「藤原道綱母」と答えましょう。

なお、「兼家」と「時姫」のあいだには、ほかに「超子・道兼・詮子・道長」という兄弟姉妹がおりまして、政治的には全員が超重要人物です。

「藤原倫寧の女」って答えたら✕なの?

文学史の問題としては、「藤原道綱母」と解答しましょう。

第一に、後世の人にとって認知度が高い属性のほうを用いるからです。「藤原道綱」は最終的に「従二位」「大納言」まで行きますので、作者の父である「倫寧」よりも、子である「道綱」を用いたほうがわかりやすいです。(倫寧は正四位下)

第二に、「藤原倫寧」には娘さんがたくさんいらっしゃるので、「倫寧の女」だとそのうちの誰を指すのか判然としません。「道綱の母」と言っておけば一人に特定されます。

じゃあ、『更級日記』の作者である「菅原孝標女」は、子の属性よりも、父の属性のほうが認知度が高いから「菅原孝標女」としているのかな。

そういうことになりますね。

ちなみに、「藤原道綱母」の異母妹にあたる女性が「菅原孝標」の妻です。

じゃあ、『蜻蛉日記』の作者の姪っ子が、『更級日記』の作者なのか。

世の中は狭いんだな。

つくづくと思ひつづくることは、~

つくづくと思ひ続くることは、なほいかで心と疾く死にもしにしがなと思ふよりほかのこともなきを、ただこの一人ある人を思ふにぞ、いと悲しき。人となして、後ろやすからむなどにあづけてこそ、死にも心やすからむとは思ひしか、いかなる心地してさすらへむずらむ。と思ふに、なほいと死にがたし。

つくづくと思い続けることは、やはりなんとかして思うままに早く死んでしまいたいものだなあと思うよりほかのこともないが、ただこの一人ある人【道綱】の事を思うと、たいそう悲しい。(道綱を)一人前にして、安心できるような妻などに任せてこそ、死ぬことも安心だろうと思ったが、(私が死んだら道綱は)どんな気持ちで(拠り所もなく)さまようのだろうと思うと、やはりとても死にきれない。

「いかがはせむ。~

「いかがはせむ。かたちを変へて、世を思ひ離るやとこころみむ。」と語らへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじうさくりもよよと泣きて、「さなりたまはば、まろも法師になりてこそあらめ。何せむにかは、世にもまじろはむ。」とて、いみじくよよと泣けば、我もえせきあへねど、いみじさに、たはぶれに言ひなさむとて、「さて、鷹飼はでは、いかがしたまはむずる。」と言ひたれば、やをら立ち走りて、し据ゑたる鷹を握り放ちつ。見る人も涙せきあへず、まして、日暮らし悲し。心地におぼゆるやう、

 あらそへば 思ひにわぶる あまぐもに まづそる鷹ぞ 悲しかりける

とぞ。 

「どうしようか。出家して、俗世を思い切れるかどうか試してみよう。」と(道綱に)話すと、まだ深い事情もわからないの【年齢】であるが、たいそうしゃくりあげておいおいと泣いて、「そのようになさるならば【母が尼になりなさるならば】、私も法師になってしまおう。何をしようとして、世間に交わろうか(いや、世間と交際する必要はない)。」と言って、たいそうおいおいと泣くので、私も涙をこらえきれないけれど、(感情の)はなはだしさに【悲しさのたかぶりをおさめようと】、冗談に紛らわそうとして、「それでは、鷹を飼わないでは、どのようになさるおつもりか。」と言ったところ、おもむろに立ち上がり走って、(木に)止まらせている鷹をつかみ放った。見ている女房も涙をこられきれない。まして、(私は)一日中悲しい。心に思われることは、

(兼家と)争うので、思い嘆いて、天雲に真っ先に飛び去る鷹と、そして私が髪をそることは、悲しいことだなあ。

ということだ。

「日暮らし悲し」のところは、「悲し」を「難し(かたし)」としているテキストもあります。

その場合は、「一日を過ごせない(ほどつらい)」などと訳します。

「まづそる」っていうのは何なの?

「逸る」と「剃る」の掛詞ですね。

「逸る」は「思わぬ方向に進む・離れる・それる」ということで、ここでは「鷹」が「飛び離れる」ことを意味しています。

「剃る」は「髪を剃る」ことであり、「出家する」ことを暗に意味しています。