歌ゆゑに命を失ふ事 『沙石集』 現代語訳

『沙石集』より、「歌ゆゑに命を失ふ事」の現代語訳です。

テキストによっては「兼盛と忠見」「兼盛と忠見の歌合」というタイトルです。

平兼盛たいらのかねもり」と「壬生忠見みぶのただみ」は、どちらも「三十六歌仙」の一人に数えられるほどの人物です。

このお話に登場する歌は、どちらも『拾遺和歌集』や『小倉百人一首』に入っています。

ただ、兼盛の歌の初句はもともと「しのぶれど」です。この『沙石集』では「つつめども」になっていますね。

天徳の御歌合のとき、~

天徳の御歌合のとき、兼盛、忠見、ともに御随身にて左右についてけり。初恋といふ題を給はりて、忠見、名歌詠み出だしたりと思ひて、兼盛もいかでこれほどの歌詠むべきとぞ思ひける。

  恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか

さて、すでに御前にて講じて、判ぜられけるに、兼盛が歌に、

  つつめども 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで

天徳の歌合の時、兼盛【平兼盛】、忠見【壬生忠見】、ともに御随身【近衛府の役人】として左方と右方についた。初恋という題を(帝から)いただいて、忠見は、すばらしい歌を詠み上げたと思って、兼盛もどうしてこれほどの歌を詠むことができるか(いや、できない)と思った。

(忠見の歌)
 恋しているという私のうわさは早くも立ってしまった。人に知られないように思い始めたのに。

そうして、すでに(帝の)御前で詠み上げて、(よしあしを)判定されていたが、兼盛の和歌には、

(兼盛の歌)
  心に隠しているけれど、顔色に出てしまっていた。私の恋は、恋の物思いをしているのかと、人が尋ねるほどに。

判者ども、名歌なりければ判じ煩ひて、~

判者ども、名歌なりければ判じわづらひて、天気をうかがひけるに、帝、忠見が歌をば両三度御詠ありけり。兼盛が歌をば多反御詠ありけるとき、天気左にありとて、兼盛勝ちにけり。

判者たちは、(ともに)名歌であったので判定するのに困って、帝のご意向をうかがったところ、帝は、忠見の和歌を二、三度、朗詠なさった。兼盛の和歌を何度も繰り返し朗詠なさった時、(判者たちは)帝のご意向は左方【兼盛側】にあると思って、兼盛が勝った。

忠見、心憂くおぼえて心ふさがりて、~

忠見、心憂くおぼえて心ふさがりて、不食の病つきてけり。頼みなき由聞きて、兼盛、とぶらひければ、「別の病にあらず。御歌合のとき、名歌詠み出だしておぼえ侍りしに、殿の『ものや思ふと人の問ふまで』に、あはと思ひて、あさましくおぼえしより、胸ふさがりて、かく重り侍りぬ。」と、つひにみまかりにけり。執心こそよしなけれども、道を執する習ひ、あはれにこそ。ともに名歌にて『拾遺』に入りて侍るにや。

忠見は、つらく思われて、心がつぶれて、ものを食べられない病になってしまった。治るあてがないことを聞いて、兼盛が見舞ったところ、「特別の病気ではない。御歌合の時に、すばらしい歌を詠みあげたと思われましたが、あなた【兼盛】の『ものや思ふと人の問ふまで』に、ああ(見事だ)と思って、情けなく思われたことから、胸がふさがって、これほど(病が)重くなりました。」と、とうとう亡くなってしまった。執着心はつまらないことだが、(歌の)道を深く心にかける習慣は、しみじみと心ひかれる。ともに名歌ということで『拾遺(和歌集)』に入っているのでしょうか。

兼盛の歌が勝ったということですが、近世では賀茂真淵などが壬生忠見の歌のほうがよいと言っています。

よっしゃ。