わざわざ地味系コーデ
意味
(1)目立たない装いをする・地味な格好をする
(2)身なりをみすぼらしくする (身なりの格を落とす)
(3)出家する・僧や尼の姿になる
(4)(身をけずって)打ち込む・熱中する
(5)(変えて)まねる・似せて作る
(6)(行儀などを)くずす・くつろぐ
(7)(字形などを)くずす・簡略する
*(5)~(7)は主に近世以降の用法
ポイント
「やつる」の他動詞型が「やつす」です。
「やつる/やつす」の「やつ」は、現代語で言う「やつれる」の「やつ」と同根で、「やつる」は「見た目が地味になること」であり、「やつす」は「見た目を地味にすること」です。
「やつす」は、わざわざ意識的に地味系ファッションにするということなんだな。
そうですね。
たとえば、「身分を隠して外出する時」とか「目立たない格好をして行動する時」などに使用されやすいです。
また、慣用表現として「出家する」という意味で使用されることもあります。「貴族の豪華な衣服」から「僧の簡素な法衣」にするということですね。
ただのコスプレではなく、実際に仏門に入ることを意味するのだな。
さて、(5)(6)(7)の意味は、要するに「原型を簡素化する」ということです。
もともとのものを簡素にしてしまうということで、「(簡素にして)まねる」とか、「決められた形をくずす」ということになるのですね。
「劣化コピー」みたいな感じなんだね。
イメージ的にはそういうことになりますね。
(4)は「身をやつす」という言い方で、「身をけずる思いで対象に打ち込む」という意味合いになります。古い時代の小説では(4)の意味で出てくることがあります。
あと、面白いのが、現代語として近畿地方で「やつす」というと、「おめかしする」といった意味で用いられます。
古語では、「身なりをみすぼらしくすること」「目立たなくすること」なのに、現在の近畿では「おめかしする」の意味なんだ!
逆の意味になっているように思えるけど・・・。
古語でも現代語でも、「意図的に装いを変える」という点では共通しているんですよね。
古語の場合は「派手・華美」なものから「簡素・地味」な方向に「グレードダウン」させるための「装い」なのですが、近世後半くらいから、「地味にする」というよりは、「原型をくずす」ということに意味の中心が移った用い方が出てきます。
ああ~。
たしかに(5)(6)(7)の意味なんかは、「グレードを落とす」というよりは、「決まった形式をくずす」という意味が強い感じがするね。
たとえば、「学校のおしゃれ生徒が制服を着くずす」ことは、まさに「やつす」だけど、「おしゃれ生徒」の立場から見ればそれが「おめかし」だもんね。
「制服の着くずし」を「やつす」と表現するのは、言いえて妙だと思います。
教員側からみれば「身なりをみすぼらしくすること」ですが、「おしゃれ生徒」からみれば「おめかし」なわけです。先生がおしゃれ生徒に対して「制服をやつしてはいけません」というならマイナスの文意ですが、おしゃれ生徒仲間が「今日のやつし方、イケてんじゃん!」というならプラスの文意ですね。
いずれにしても、現代において「やつす」を「おめかしする」の意味で使う地域があるというのも、それは根本的には「原型を変化させる」という意味を含んでいます。ただ、一般的な「おめかし」は「着飾ること」が多いために、「やつす=着飾ること」という用い方が定着していったのかもしれませんね。
ことばは面白いね。
何はともあれ、古文の試験としては、ほぼ(1)(2)(3)の意味で出題されますので、古語としてはまず(1)(2)(3)を覚えておきましょう。
例文
狩の御衣など、旅の御よそひいたくやつしたまひて、(源氏物語)
(訳)狩の御衣【狩衣】など、旅のご装束を、たいそう目立たなく装いなさって、
かくまでやつしたれど、見にくくなどはあらで、(堤中納言物語)
(訳)これほどまで身なりをみすぼらしくしているけれど、見苦しくなどはなくて、
朱雀院の御末にならせたまひて、今はとやつしたまひし際にこそ、かの母宮を得奉り給ひしか。(源氏物語)
(訳)朱雀院が晩年におなりになって、いよいよ出家しなさった際に、あの母宮【女三宮】をお迎えしなさった。
玄宗の花軍をやつし、扇軍とて、あまたの美女を左右に分けて、(日本永代蔵)
(訳)玄宗皇帝の花軍をまねて、扇軍といって、たくさんの美女を左右に分けて、
「原型を簡素化する」という意味合いで用いられています。訳は「(変えて)まねる」「似せて作る」といったものになります。
なお、「花軍」は、二組に別れて、桜の枝で打ち合う(あるいは、花の美しさを競い合う)遊びのことです。
事過ぎてあとはやつして乱れ酒 (好色一代男)
(訳)事【茶の湯】が終わって、あとはくつろいで【行儀をくずして】形式にとらわれない酒盛りだ。
「型にはまった礼儀作法をくずす」という意味合いで用いられています。
連歌に身をやつし、心を染め、臥すにも起くるにも、このことのみなりつる人の栖なる軒の下に、夜、小便する音しけり。(醒睡笑)
(訳)連歌に(身をけずって)打ち込んで【熱中して】、心を(それだけに)専心して、寝ても覚めても、このこと【連歌】(をする)だけになっている人の家にある軒下に、夜、小便する音がした。
この例文は、表現としては「見た目をみすぼらしくする」ということですが、内実としては「それほどまでに打ち込んでいる」ということを言っています。
このように、「打ち込む」「熱中する」という意味で用いられる場合は、たいてい「身をやつす」という言い回しのときです。
ただ、「身をやつす」という言い回しが必ず(4)の意味になるわけではありません。
まずは基本となる(1)(2)(3)の意味を検討してください。