〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。
かくいふほどに、秋にもなりぬ。住吉には、月日の積もりゆくままに、いとどあはれさもまさり、「いかになるべき身にか」とおぼし嘆く。尼君もうち泣きて、「わらはは残り少なき身に侍る。めでたうあたらしき御ありさまを、かかるあさましき柴の庵の内に押し籠め奉りて、はかなくなり侍りなば、いかにならせ給ふべき御ありさまに」と言ひつづけて泣けば、姫君うち泣きて、「世にあり経んと思ふ身ならばこそ」とて、泣きつつ過ごし給ふ。
現代語訳
このように言ううちに、秋にもなった。住吉では、月日が経っていくうちに、ますます悲しみも増え、「どうなるはずの身の上であるのか」とお思いになり嘆く。尼君も泣いて、「私は(人生の)残りが少ない身でございます。すばらしくもったいない(姫君の)お姿を、このような粗末な柴の庵の中に押しこめ申し上げて、(私が)死んでしまいましたなら、どのようにおなりになる御身の上であるか」と言い続けて泣くと、姫君は泣いて、「この世に生き続けようと思う身であるならばともかく(そうではない)」と言って、泣きながらお過ごしになる。
ポイント
ん 助動詞
「ん」は、「意志」の助動詞「ん(む)」の終止形です。
「この世にあり続けよう」ということですね。
なり 助動詞
「なら」は、「断定」の助動詞「なり」の未然形です。
「この世に生き続けようと思う我が身である」ということですね。
ばこそ 連語
ば 接続助詞
「ば」は、接続助詞の「ば」です。
「ば」は、直前が「未然形」なのか「已然形」なのかで訳し方が変わります。
(1)「未然形 + ば」であれば「順接仮定条件」
(もしも)~ならば・すれば
(2)「已然形 + ば」であれば「順接確定条件」
~ので・~(する)と・~(する)ところ
ここでは「未然形 + ば」ですから、「仮定条件」として訳します。
「この世に生き続けようと思う我が身であれば」ということになります。
こそ 係助詞
「こそ」は「係助詞」です。強調のはたらきをします。訳には出てこなくて大丈夫です。
さて、このように「未然形 + ばこそ」となっているときは、「仮定条件」を「強調」していると考えます。「もしもの話」であることを「強く表現する」わけですから、「実際(現実)」からはかなり遠いことを仮定していることになります。
したがって、「未然形 + ばこそ」の構文は、「~であればいいけれど、実際にはそうではない」「~であれば困るけれど、実際にはそうではない」ということを意味することになります。
訳としては、「~ならばよいが」「~ならば悪いが(困るが)」というように訳すことになります。
その「仮定」のとおりになると「よい」のか「悪い(困る)」のかは、文脈判断になります。「~ならばともかく」としてもいいですね。
ここでは、「自分がいなくなったら姫君はどうなるのか」と心配する「尼君」に対して、「姫君」が、「私自身がこの世に生き続けようと思う身であれば尼君が心配するのもそのとおりだが、実際にはこの世に生き続けようと思ってもいないので、心配には及ばない」というような意味合いになります。
訳はこんなに書く必要はないので、「この世に生き続けようと思うわが身であるならばともかく」としておけば問題ないです。

同じ意味になりますが、「~ばこそあらめ」という表現もよく出てきます。
「~ばこそ」は、「あらめ」が省略されたかたちと考えてもいいですね。

