『沙石集』より、「ねずみの婿とり」の現代語訳です。
ねずみの、~
ねずみの、娘をまうけて、「天下に並びなき婿をとらん。」と、おほけなく思ひ企てて、「日天子こそ世を照らしたまふ徳めでたけれ。」と思ひて、朝日の出でたまふに、「娘をもちて候ふ。みめかたちなだらかに候ふ。まゐらせん。」と申すに、「われは世間を照らす徳あれども、雲に会ひぬれば光もなくなるなり。雲を婿にとれ。」とおほせられければ、「まことに。」と思ひて、黒き雲の見ゆるに会ひて、このよし申すに、「われは日の光をも隠す徳あれども、風に吹き立てられぬれば、何にてもなし。風を婿にせよ。」と言ふ。
ねずみが、娘を得て、「天下に比類ない(最高の)婿を取ろう。」と、あつかましく思いもくろんで、「お日様こそ世の中をお照らしになる能力がすばらしい。」と思って、朝日がお昇りになるところに、「娘を持っております。見た目の容貌はほどよくございます。差し上げよう。」と申し上げると、(お日様は)「私は世間を照らす能力はあるけれども、雲に会ってしまうと光もなくなるのだ。雲を婿にとれ。」とおっしゃったので、(ねずみは)「本当に(そのとおりだ)。」と思って、黒い雲が見えるのに会って、このこと【事の次第】を申し上げると、(雲は)「私は日の光を隠す能力はあるけれども、風に吹き立てられると、どうにもならない。風を婿にしなさい。」と言う。
「さも。」と思ひて、~
「さも。」と思ひて、山風の吹けるに向かひて、このよし申すに、「われは雲をも吹き、木草をも吹きなびかす徳あれども、築地に会ひぬれば力なきなり。築地を婿にせよ。」と言ふ。
「それもそうだ。」と思って、山風が吹いているのに向かって、このことを申し上げると、(風は)「私は雲をも吹き飛ばし、木や草をも吹きなびかせる能力があるけれども、築地【土塀】に会ってしまうと力がないのである。築地【土塀】を婿にしなさい。」と言う。
「げに。」と思ひて、~
「げに。」と思ひて、築地にこのよしを言ふに、「われは風にて動かぬ徳あれども、ねずみに掘らるるとき、耐へがたきなり。」と言ひければ、さては、ねずみは何にもすぐれたるとて、ねずみを婿にとりけり。
「そのとおりだ。」と思って、築地【土塀】にこのことを言うと、(築地は)「私は風で動かない能力があるけれども、ねずみに掘られるとき、耐えがたいのだ。」と言ったので、それでは、ねずみは何に対しても優れていると思って、ねずみを婿にとったとのことだ。