あらざらむ このよのほかの おもひでに(おもひいでに) いまひとたびの あふこともがな
和歌 (百人一首56)
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな
和泉式部 『後拾遺和歌集』
歌意
わたしは(この世から)いなくなるだろう。現世の外への【あの世への】思い出に(するために)、せめてもう一度、あなたに会うことがあるといいなあ。
ほかにもこんな解釈も・・・
私が(死んで)いなくなるとしたら、その現世において、(すでにある思い出とは)別の思い出になるように、せめてもう一度、(あなたに)逢うことがあるといいのに。
作者
作者は「和泉式部」です。お父さんの「大江雅致」」は式部丞(式部省の判官)で、雅致の兄(といわれる)「匡衡」や、父「重光」は式部大輔(式部省の次官)として活躍しておりました。
式部省とは官僚の教育機関で、式部省が管轄する大学寮では文章博士や律令博士(明法博士)が教育を行うのですが、大江家はこの文章博士を代々務めるような「漢学の名門」です。
また、お母さんは昌子内親王にお仕えしており、和泉式部も出入りしていたそうです(正式にお仕えしていたかは不明)。こういった環境が「和泉式部」の素養を育んできたのですね。
「和泉式部」の夫は「和泉守」の「橘道貞」という人で、二人の娘が「小式部内侍」です。
小式部内侍の歌はこちら。
「和泉式部」とは、旦那さんの「和泉」と、お父さんの「式部」をあわせたものなのか!
そういうことですね。
当時の女性のお名前はほとんど判明しておりません。お父さんや夫の官職名などで呼ばれることが多いですね。
「和泉式部」の場合、「夫の任国+父の職場」を足したものになります。
小式部内侍が生まれたのち、冷泉天皇の皇子「為尊親王」との恋愛関係がうわさされます。この間の道貞との婚姻関係は不明です。身分も違いますし、為尊親王はほかの女性とも親しくしていますし、親御さんも反対しますのでお別れすることになります。
「為尊親王」は若くして亡くなるのですが、その後、弟である「敦道親王」から猛烈アタックを受けます。
モテモテだなこりゃ。
この「敦道親王」との恋の顛末を物語風に描いたのが『和泉式部日記』です。
その後、和泉式部は小式部内侍とともに中宮彰子に出仕しています。そののち、彰子の父道長の家司であった藤原保昌の妻となって、保昌が丹後守として赴任する際、いっしょに丹後に下っています。
保昌は、オーラだけで盗賊を怖気づかせるほどの剛の者です。
これだけ、恋の遍歴があると、この歌の「最後に会いたい」って言っている相手も誰だかわかんないね。
『後拾遺和歌集』の詞書きには、「心地例ならずはべりけるころ、人のもとにつかはしける」とありますが、その「人」が誰を指すのかは不明です。
ポイント
あらざらむ
動詞「あり」+「打消」の助動詞「ず」+「推量」の助動詞「む」であり、ここでは自分自身の現世での存在を打ち消しているととらえ、「生きていないだろう」と解します。
訳としては「まもなく死んでしまうだろう」などとなります。
ただ、この「む」を「文中連体形」の用法と考えて、「この世」に係っていくととらえ、
「私が(死んで)いなくなるとしたら、その現世において~」
と解釈することもできます。
この世のほかの
「この世」は「現世」を指すので、「この世のほか」というと、「現世の外側」すなわち「あの世」を意味することになります。
「(私がいない)この現世における別の(思い出)」と解することもできます。
思ひ出に
「私があの世に持っていく思い出として」ということですね。
別解釈でいうと、「あなたが私を思い出すように」という感じになります。
今ひとたびの
「せめてもう一度」という意味合いです。
逢ふこともがな
「逢ふ」は、男女が逢うこと、また夜をともに過ごすことであり、「もがな」は願望の終助詞で、「~があったらなあ」「~があるといいなあ」などと訳します。