袴垂、保昌にあふこと 『宇治拾遺物語』 現代語訳

『宇治拾遺物語』より、「袴垂はかまたれ保昌やすまさにあふこと」の現代語訳です。

「保昌」というのは、「藤原保昌」のことです。「藤原道長」の家司として「道長四天王」に数えられた人物で、剛の者としての逸話が複数残っています。

九州の官職をあちこち務めたのち、大和守⇒丹後守⇒大和守⇒摂津守を歴任しました。

丹後守として赴任した際には、妻である「和泉式部」とともに下っています。

そんなときに「和泉式部」の娘である「小式部内侍」は、京で「藤原定頼さだより」をぎゃふんと言わせていたわけか。

そうです!

なお、↓では、保昌は「摂津前司(摂津の前任の国司)」と紹介されていますね。

昔、袴垂とて、~

昔、袴垂とて、いみじき盗人の大将軍ありけり。十月ばかりに、衣の用なりければ、衣少しまうけんとて、うかがひ歩きけるに、夜中ばかりに、人みな静まりはてて後、月のおぼろなるに、衣あまた着たりけるぬしの指貫のそばはさみて、絹の狩衣めきたる着て、ただひとり、笛吹きて、行きもやらず、練り行けば、

昔、袴垂といって、並々でない盗人の首領がいた。十月のころに、着物が必要であったので、着物を少し用意しようとして、(盗みができそうな機会を)尋ね求めまわったときに、夜中ごろに、人がみなすっかり静まった後、月がぼんやりとしているところに、着物をたくさん着ている者が、指貫の脇を(たくし上げて帯に)挟んで、絹の狩衣のようであるものを着て、ただ一人で、笛を吹いて、(どんどん)行くというわけでもなく、静かに歩行するので、

これこそ、~

これこそ、我に衣得させんとて出でたる人なめりと思ひて、走りかかりて、衣を剝がんと思ふに、あやしくものの恐ろしく覚えければ、添ひて二三町ばかり行けども、我に人こそ付きたれと思ひたるけしきもなし。

これ【笛を吹きながら練り行く人】こそ、自分に着物を得させようとして現れ出た人のようだと思って、走りかかって、着物を剝ぎ取ろうと思うが、妙に何となく恐ろしく思われたので、後について二、三町ほど行くが、(練り行く人は)自分に人がついていると思っている様子もない。

いよいよ笛を吹きて行けば、~

いよいよ笛を吹きて行けば、試みんと思ひて、足を高くして走り寄りたるに、笛を吹きながら見返りたるけしき、取りかかるべくもおぼえざりければ、走り退きぬ。

ますます笛を吹いていくので、試してみようと思って、足を高く上げて走り寄ったところ、(その人が)笛を吹きながら振り返った様子は、取りかかることができるとも思われなかったので、(袴垂は)走って逃げた。

かやうに、~

かやうに、あまたたび、とざまかうざまにするに、つゆばかりも騒ぎたるけしきなし。希有の人かなと思ひて、十余町ばかり具して行く。さりとてあらんやはと思ひて、刀を抜きて走りかかりたるときに、そのたび、笛を吹きやみて、立ち返りて、「こは、何者ぞ。」と問ふに、心も失せて、我にもあらで、ついゐられぬ。

このように、何度も、あれやこれやするが、(その人は)わずかばかりも動揺している様子がない。めったにいない人だなあと思って、十町を越えるばかりついて行く。そうといって(このままで)いられようか(いや、いられない)と思って、刀を抜いて走りかかったときに、その折、(その人は)笛を吹くのをやめて、振り返って、「あなたは、何者だ。」と問うので、(袴垂は)呆然として、我を失い、膝をついて座ってしまった。

また「いかなる者ぞ。」と問へば、~

また「いかなる者ぞ。」と問へば、今は逃ぐとも、よも逃がさじとおぼえければ、「引きはぎに候ふ。」と言へば、「何者ぞ。」と問へば、「あざな、袴垂となむ、言はれ候ふ。」と答ふれば、「さいふ者ありと聞くぞ。あやふげに、希有のやつかな。」と言ひて、「ともに、まうで来。」とばかり、言ひかけて、また、同じやうに、笛吹きて行く。

(その人が)また「どのような者か。」と問うので、(袴垂は)今は逃げても、(この人は自分を)まさか逃がすまいと思われたので、「引きはぎでございます。」と言うと、(さらに)「何者か。」と問うので、「字【通称】は、袴垂と、言われております。」と答えると、「そういう者がいると(うわさに)聞く。物騒で、めったにいないやつだな。」と言って、「(私と)ともに、やってまいれ。」とだけ、声をかけて、また、同じように、笛を吹いて行く。

この人のけしき、~

この人のけしき、今は逃ぐともよも逃がさじとおぼえければ、鬼に神取られたるやうにて、ともに行くほどに、家に行き着きぬ。いづこぞと思へば、摂津前司保昌といふ人なりけり。家のうちに呼び入れて、綿厚き衣、一つを給はりて、「衣の用あらんときは参りて申せ。心も知らざらん人に取りかかりて、汝あやまちすな。」とありしこそ、あさましく、むくつけく、恐ろしかりしか。「いみじかりし人のありさまなり。」と、捕らへられてのち、語りける。

この人の様子は、今は逃げてもまさか(自分を)逃がすまいと思われたので、鬼に魂を取られたようで、ともに行くうちに、(その人の)家に行き着いた。どこだと思うと、摂津前司保昌【藤原保昌】という人(の家)であった。(保昌は袴垂を)家の中に呼び入れて、綿の厚い着物、一着をお与えになって、「着物の必要があるようなときは(ここに)参上して申し上げよ。心もわからないような人に取りかかって、あなたが過ちをするな。」と(いう言葉が)あったのは、驚きあきれ、得体が知れず、恐ろしかった。「(保昌は)並々でなく立派な人の有様である。」と、(袴垂は)捕らえられた後、語ったという。