
よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのをぶねの つなでかなしも
和歌 (百人一首93)
世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも
鎌倉右大臣 『新勅撰和歌集』
歌意
この世の中は、いつまでも変わらないものであってほしいなあ。波打ち際を漕ぐ漁師の小舟の綱手を、漁師たちが引いている様子はしみじみといとおしいものだ。
作者

作者は「鎌倉右大臣」です。鎌倉幕府三代将軍「源実朝」のことですね。
お父さんは「源頼朝」、お母さんは「北条政子」です。

鶴岡八幡宮の階段で公卿に暗殺されてしまった実朝だな。

そうですね。
和歌や蹴鞠を愛好していまして、和歌については早くから藤原定家の指導を受けていました。

英才教育を受けていたんだね。

なかでも『万葉集』に関心が深かったようですね。
ちなみにこの歌は『万葉集』『古今集』にある次の二首を本歌としています。
河の上のゆつ岩群に草むさず常にもがもな常処女にて(万葉集)
陸奥はいづくはあれど塩釜の浦漕ぐ舟の綱手かなしも(古今集)

「本歌取り」ってやつだね。
ポイント
世の中は

「この世の中」を主題としていますね。
常にもがもな

形容動詞「常なり」の連用形です。
「常」は「普段・平常」のであり、「常なり」は、「普通だ・あたりまえだ」という意味で使われやすいです。ただ、ここでは「無常」の対義語的なニュアンスで、「永久だ」「不変だ」という意味で解しましょう。
「もがも」は「願望」を意味する終助詞で、それに「詠嘆」の終助詞「な」がついています。
「もがも」は、「もがな」「がな」と同じ意味です。
渚漕ぐ

波打ち際を平行に漕いでいる様子です。
海人の小舟の

「山の奥」に入るということは、「俗世」から離れた場所に行くことですから、「隠遁」の気持ちで入っていくわけですね。
綱手かなしも

「綱手」は舟のへさきにつけて、陸上から舟を引く「引き綱」のことです。
「かなし」は、主に「いとしい」と「悲しい」の意味がありますが、ここは文脈上「いとしい」のほうですね。
「も」は「詠嘆」の終助詞です。