鳥羽法皇の御時、~
鳥羽法皇の御時、待賢門院に、小大進といふ女房、召し使はれけり。御衣の一重失せたりけるを、無き名を負ひて、北野に七日参籠し、起請を書きて、失を守る程に、香水の水を、あやまちて打ちこぼしてければ、仰せつけられたる人、「これこそ失よ」と申しけるを、「あやまちは世の常のことなり。まげて今すこし日をのべ給へ」と泣く泣く申しければ、許してけり。さて、紅の薄様に書きて、御宝前に奉りける、
思ひ出づや なき名立つ身は 憂かりきと あら人神に なりし昔を
鳥羽法皇の御代、待賢門院に、小大進という女房が召し使われていた。(女院の)お召し物が一枚紛失したので、身に覚えのない罪を負って、北野神社に七日間お籠りし、起請【神仏に誓う文書】を書いて、過失の是非を見定めるあいだに、お供えの水を、誤ってこぼしてしまったので、(監視を)仰せつけられた人は、「これこそ過失よ」申し上げたのを、「あやまちは世の中で常のことである。ぜひとももう少し(お籠りの)日をお延ばしください」と泣きながら申し上げたので、(日を延ばすことを)許した。そうして、(小大進は)紅の薄様に書いて、神仏の御前に差し上げた(歌は)、
思い出すか。無実の罪を負う身はつらかったと。現人神になった昔のことを。
その夜、~
その夜、法皇の御夢に、やむごとなき老翁の束帯にて、「御使者を給はりて、めでたき事の候ふ、見せまゐらせむ。われは北野の右近の馬場に候ふ者なり」と仰せられけり。さて、いそぎ御使者あり。この歌を見て奏しける程に、やがてその日、女院の御内に、しきしまといふ雑仕、法師と二人、かの御衣をかづきて、獅子舞して、くるひまゐりてけり。小大進は、召されけれども、日ごろ心わろきものと思しめされてこそ、かかる心憂きこともあれとて、仁和寺にこもりゐて、参らざりけり。優なる心なるべし。
その夜、法皇の御夢に、身分の高い老人が束帯で、「御使者をいただいて、すばらしい事がございます(ことを)、見せ申し上げよう。私は北野神社の馬場におります者である」とおっしゃった。そこで、急いで御使者がある。この歌を見て歌を見て(法皇に)申し上げるうちに、すぐにその日、女院の御邸内で、しきしまという雑士が、法師と二人で、あの御衣をかぶって、獅子舞をして、異常な様子で参上した。小大進は、召されたけれども、「ふだん心がけが悪い者とお思いになられているからこそ、このような情けないこともある」と思って、仁和寺にこもりじっとして、参上しなかった。上品な心であるだろう。

