〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。
白河院の御時、九重の塔の金物を牛の皮にて作れりといふこと、世に聞こえて、修理したる人、定綱朝臣、事にあふべき由聞こえたり。仏師なにがしといふ者を召して、「確かにまことそらごとを見て、ありのままに奏せよ」と仰せられければ、承りて上りけるを、なからの程より帰り降りて、涙を流して、色を失ひて、「身のあればこそ、君にも仕へたてまつれ。肝心失せて、黒白見え分くべき心地もはべらず」と、言ひもやらずわななきけり。君、聞こしめして、笑はせ給ひて、ことなる沙汰もあらで止みにけり。かの韋仲将が凌雲台に上りけむ心地も、かくやありけむとおぼゆ。
十訓抄
時人、いみじきをこの例に言ひけるを、顕隆卿聞きて、「こやつは、必ず冥加あるべきものなり。人の、罪かうぶるべきことの、罪を知りて、みづからをこの者となれる、やんごとなき思ひはかりなり」とぞ、ほめられける。
まことに、久しく君に仕へたてまつりて、事なかりけり。
現代語訳
白河院の御代に、九重の塔の(装飾の)金物を牛の皮で作ったということが、世間でうわさになって、修理をした人である定綱朝臣が、処罰を受けるだろうということがうわさになった。(白河院が)仏師某という者をお呼びして、「たしかに本当か嘘かを見て、ありのままに申し上げよ」とおっしゃったので、お引き受け申し上げて(塔に)上ったところ、中ほどから降りて帰ってきて、涙を流して、顔色も(血色を)失って、「この身が(無事で)あるからこそ、主君にもお仕え申し上げる。肝も心も失せて(しまった気持ちで)、嘘かまことか見分けられる気分もございません」と、言い終わらずにぶるぶるふるえた。白河院は、(このことを)お聞きになり、お笑いになって、これといった処置もなく終わってしまった。あの韋仲将が凌雲台に登ったとかいう気持ちも、このようであったのだろうかと思われる。
時の人は、たいそう愚かな例として言ったけれども、(藤原)顕隆卿が聞いて、「この人はかならず神仏の加護があるはずの者である。(自分の報告で)人が、罪を受けるに違いないことの、罪を理解して、自ら愚かな者となっているのは、並々ではない配慮である」と、おほめになった。
実際、長い間白河院に仕え申し上げて、何事もなかった【悪いことはなかった】。

実際に見に行って、もしも偽物だったら、誰かが罰を受けるから、高い所が怖い臆病者のふりをして、真偽をうやむやにしたんだね。
ポイント
まこと 名詞
「まこと」は「真実」「本当のこと」「誠意」「まごころ」「真実味」など、様々な意味になりますが、ここでは九重の塔の金物に牛の皮が使われているのかどうかという文脈ですから、「本当のこと」という意味になります。
そらごと 名詞
「そらごと」は、「空言」「虚言」などと書きます。「うそ」「いつわり」などと訳しましょう。
奏す 敬語動詞(サ行変格活用) *謙譲語
「奏せよ」は、敬語動詞「奏す」の命令形です。
「天皇・上皇・法皇」に対して申し上げる場合にのみ使用される謙譲語です。
「(天皇・上皇・法皇に)申し上げる」と訳します。

申し上げる相手が限定される謙譲語です。
ここでは、「白河院」に対して申し上げるということなのですが、このセリフは白河院自身が発話しているものです。
つまり、「私に申し上げよ」ということなのですね。
天皇・上皇・法皇レベルになると、自分に向かう相手の行為に「謙譲語」を用いることがあります。自分自身を「偉い」とみなしているのですね。こういう用法を自敬表現と言います。
仰す 敬語動詞(サ行下二段活用) *尊敬語
「仰せ(おほせ)」は、動詞「おほす」の未然形です。
「おっしゃる」と訳します。
らる 助動詞
「られ」は、助動詞「らる」の連用形です。
ここでは「尊敬」の意味です。
直前の「仰す」をいっそう強めている役割を果たしています。

「尊敬語」に「尊敬の助動詞」が重なっているので、いわゆる「最高敬語」の扱いです。
天皇レベルの人物がおっしゃっているということになります。
ここでは、「白河院」の発言です。