「さりけり、さりけり、物ないひそ」といはれけり。(宇治拾遺物語)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

侍、通俊のもとへ行きて、「兼久こそかうかう申して出でぬれ。」と語りければ、治部卿うちうなづきて、「さりけり、さりけり。物ないひそ。」と言はれけり

宇治拾遺物語

現代語訳

家臣が、通俊のところへ行って、「兼久がこのように申して出て行きました。」と話したところ、治部卿はうなずいて、「そうだった、そうだった。物を言わないでくれ。【もう言わないでくれ】」とおっしゃった

 

ポイント

さり

「さり」は「さ/あり」がつまったもので、「そうである」の意味になります。

けり

「けり」は「語り手からみて、客観的に一歩引いた過去」を意味するので、多くは「伝え聞いた物語における過去」に使用されます。

ただし、「自分が経験していたのにもかかわらず、認識していなかった過去や、忘れていた過去」を意味することもあります。その用例を「気づきの過去」と呼ぶこともありますが、文法上の仕分けでは「詠嘆」と呼ぶことが多いと考えましょう。

「けり」
① 過去(伝聞過去)「~た」 

    *地の文に多い。
② 詠嘆(気づきの過去)「~だったなあ」「~だなあ」

    *会話文中や和歌中に多い。

「さりけり、さりけり、~」の「けり」は、会話文中でもありますし、文脈的に考えても「詠嘆(気づきの過去)」ですね。

「~だったなあ」と訳せばよいでしょう。

けり

最後の「けり」は会話文の外(地の文)にあるので、「過去」の助動詞です。

+α けり


「けり」の本質的な意味は、「それが起きた時点では知らなかった過去」です。いわば、

後になって知った過去」
後から気づいた過去」

などと考えるとよいでしょう。後から知った経緯が、「人づて」であれば、「伝聞過去」とか「間接過去」などと呼ばれることがあります。

「自分」で知るのであれば「気づきの過去」などと呼ばれます。その「気づき」が感動をもって迫ってくるのが、「詠嘆」の用法です。

したがって、「詠嘆」の用法であっても、多くの場合、「~たのだなあ」「~たことよ」といったように、口語訳に「た」が入ってよいことになります。

文脈によっては、「~だなあ」「~なことよ」というように、「た」を表記せずに、現在の物事への詠嘆になることもありますが、基本的にはそれも、過去から現在まで続いている現象に対する詠嘆が多いものです。

詳しくはこちらをどうぞ。

な~そ

「な~そ」は「~してくれるな」「~しないでくれ」と訳します。

「な~そ」軽い禁止

な食ひそ → 食べないでくれ・食べてくれるな
な言ひそ → 言わないでくれ・言ってくれるな

る 助動詞

「れ」は、助動詞「る」です。

直後に「けり」があるので、「連用形」になっています。

打ち消し表現を伴っていないので、「可能」の意味である可能性はきわめて低くなります。

また「言ふ」が意識的動作なので、「自発」の可能性もありません。

「受身」か「尊敬」か、ということになりますが、

①セリフの中身に「な~そ」という一種の「指示」が入っていること
②セリフの中身に尊敬語が存在しないこと

を判断材料にすると、セリフの主そのものが「位の高い人物」と考えることができます。したがって、ここでの「れ」は「尊敬」の意味であると決着します。

+α

助動詞「けり」は「来/あり」がつまったものなので、「他の人が体験した情報がやってきた」という間接過去(伝聞過去)で訳すのが基本です。「気づかなかったことに気がついた」という意味で「詠嘆」にもなるが、これは原則的に和歌中や会話文中に限ります。

+α

「る」「らる」は、もともとの意味は「自発」であり、「自分の意志とは関係なく物事が起こってしまうこと」を意味します。
(たとえば「泣くこと」「思い出すこと」などは、積極的な意志とは関係ありません)

そこから、

「自分の意志が遠く及ばない偉い人の行為(尊敬)
「自分の意志とは関係なく行為を与えられてしまうこと(受身)
「やりたいと思ってもできないこと(可能+ず)

などを表すようになりました。

そのため、「可能」は原則的に下に打消表現を伴い「~できない」の意で使用します

鎌倉時代から、打消を伴わない「~できる」の用法でも使用されるようになり、徒然草(鎌倉後期)あたりからは、文章中にも散見されるようになりますが、下に打消表現を伴う基本的な用法のほうが圧倒的に多いです。 

 

わがにんじんな食ひそ。