「惟光、とく参らなむ」と思す。(源氏物語)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

夜中も過ぎにけむかし、風のやや荒々しう吹きたるは。まして、松の響き、木深く聞こえて、気色ある鳥の、から声に鳴きたるも、「梟」はこれにやとおぼゆ。うち思ひめぐらすに、こなたかなた、けどほく疎ましきに、人声はせず、「などて、かくはかなき宿りは取りつるぞ」と、悔しさもやらむ方なし。右近は、物もおぼえず、君につと添ひたてまつりて、わななき死ぬべし。「また、これもいかならむ」と、心そらにてとらへたまへり。我一人さかしき人にて、思しやる方ぞなきや。火はほのかにまたたきて、母屋の際に立てたる屏風の上、ここかしこの隈々しくおぼえ給ふに、物の足音、ひしひしと踏み鳴らしつつ、後ろより寄り来る心地す。「惟光、とく参らなむ」と思す。ありか定めぬ者にて、ここかしこ尋ねけるほどに、夜の明くるほどの久しさは、千夜を過ぐさむ心地したまふ。

現代語訳

夜中も過ぎたのだろうよ、風がやや荒々しく吹いているのは。まして、松がざわめく響きが、梢の奥深くから聞こえて、(不思議な)雰囲気の鳥が、しわがれ声で鳴いているのも、「梟」という鳥はこれかと思われる。あれこれ思いめぐらせていると、あちらこちら、一面にさびれている感じで、人の声はせず、「どうして、このような心細いところに泊まってしまったのか」と、後悔してもどうしようない。右近は、何も思えず、(源氏の)君にぴたりと添い申し上げて、わなわなと震えて死にそうである。「また、この人【右近】もどうなるのだろうか」と、(源氏の君は)夢中で(右近の体を)つかまえていらっしゃる。自分一人がしっかりしていて、(何か)お考えになる方法がない。灯火はわずかにまたたいて、母屋の端に立ててある屏風の上や、あちらこちらに影がわだかまったいるとお思いになるとところに、物の怪の足音が、みしみしと踏み鳴らしながら、後ろから寄って来る気配がする。「惟光、早く参上してほしい」とお思いになる。(惟光は)居場所を定めない者で、(随身が)あちこち探しているうちに、夜が明けるまでの長さは、(源氏の君にとって)千夜を過ごすようなお気持ちでいらっしゃる。

ポイント

とく 副詞

「とく」は、形容詞「疾し」の連用形が副詞化したものです。

「早く」「急に」などと訳します。

「形容詞の連用形」と考えても間違いではありませんが、用言を修飾している「とく」は、副詞と考えてしまうほうが一般的です。

参る 敬語動詞(謙譲語)

「参ら」は、敬語動詞「参る(まゐる)」の未然形です。

謙譲語です。

本動詞ならば「参上する」「差し上げる」などと訳します。

補助動詞ならば「お~申し上げる」と訳します。

ここでは本動詞であり、文脈上「惟光」が「源氏の君」のもとへやってくることなので、「参上する」と訳します。

なむ 終助詞

「なむ」は、終助詞「なむ」です。未然形につきます。

主に「他への願望」を意味しますので、「~てほしい」と訳します。

「なむ」は、

① いわゆる確述用法
② 願望の終助詞
③ 係助詞
④ 「死ぬ・往ぬ・去ぬ」+「む」

という4パターンがありますが、「未然形」についているのは「②願望の終助詞」です。

思す 敬語動詞(尊敬語)

「思す」は、敬語動詞「思す(おぼす)」の終止形です。

尊敬語です。

「お思いになる」「お考えになる」と訳します。

「おもふ」に、上代の「尊敬の助動詞」である「す」がついて、「おもはす」と言っていたものが、「おもほす」になり、「おぼす」になりました。