「ば」は特殊な助詞
「ば」は、特殊な助詞です。
特殊とはこれいかに。
「未然形」に接続する場合と、「已然形」に接続する場合があります。
そして訳し方が異なります。
「未然形+ば」は「仮定条件」であり、「(もし)~ならば」「(もし)~すれば」などと訳します。
「已然形+ば」は「確定条件」であり、「~なので」「~(する)と・~(した)ところ」などと訳します。
どうしてまたそんなことに?
「未然形」は「未確定」「不確実」のサイン
前提として、「未然形」は「未確定」のサインだと考えてください。
打消の「ず」や、意志・推量の「む」などは、「未然形」につきますね。
たとえば「行かず」「行かむ」という場合、「行く」という現象は確定していないといえます。
でも、「る・らる」「す・さす」とかも未然形につくよ。
「ず」や「む」のように、「きっぱり未確定!」といえるほどではないんですが、「る・らる」とか「す・さす」は、もともとの意味において、「絶対そうなるぞ!」という「蓋然性(実現可能性)」が不確かな助動詞なんですよ。そういう点で「未然形」と相性はいいです。
ちょっと何言ってるかわからない。
細かいことを言うと……
「る・らる」は、もともとは「自然の力がそうさせる」ということで、「す・さす」は、もともとは「誰かに何かをさせる」ということです。
たとえば、「泣かる」は、「(自然が)泣かせようとする」ということであり、「食はす」は「食はせようとする」ということです。
そうすると、「自然の力が発動した時点」や、「誰かに何かを指示した時点」では、「泣く」ことや「食ふ」ことは「成立するか不確実なこと」なんですね。
「る・らる」も「す・さす」も、ゆくゆくは別の意味でも使われていくのですが、もともとの意味を考えると、「未然形」と相性がいいと言えます。
「未然形」は、「未確定」なこととか、「不確か」なことを意味しやすいかたちということなんだな。
そうです。
だからこそ、意志や推量の助動詞「む」などとくっつきやすかったんですね。
「ば」は、もともとは「むは」
では、「ば」について確認しましょう。
「ば」は、「む」+「は」なので、まず「む」から見ていきます。
「花咲かむ」という表現は、「む」が推量の意味を持ち、「花が咲くだろう」などと訳しますね。
まあそうだな。
次に「は」について、
「ぼくは食べる」とか、「学校は休みだ」といったように、「は」は「題目提示(主題限定)」の役割を持ちますね。
「〇〇は」はその文の「題目(テーマ)」であって、それについてのあれこれが「は」の後に続きます。
「きみが昨日話してくれたこと は すべてうそだったのか…」
(a.題目) (b.題目にかかわるあれこれ)
この場合、(a)は、(b)の「条件」とも言えます。
(b)で述べられることは、(a)の話題に関わっていなければならないからです。
たしかに、
ウサギは耳が長い。
と言う場合、「耳が長い」は、「ウサギ」に関わる話だな。
では、たとえば、「花咲かむは、見に行かむ」という文は、どう訳しましょう。
「咲かむ」の「む」は「推量」で、「行かむ」の「む」は「意志」だから、
花が咲くだろうは、見に行こう。
だ!
「咲かむ」の「む」は、文末用法ではないので、いわゆる「仮定・婉曲」の「む」と考えるべきです。
くわしくはこちら。
ああ~。
ということは、
花が咲くならば、行こう。
花が咲くとしたら、行こう。
なんていう感じだな。
そうです!
この「花咲かむは」が詰まって、「花咲かば」になりました。
こうして、まずは「未然形+ば」という、「仮定条件」の文法が成立しました。
もともと「む」が「未然形」につく助動詞だから、「むは」が詰まってできた「ば」も、「未然形」につくということなんだな。
例文(仮定条件)
名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと(伊勢物語)
(訳)(都鳥という)名を持っているのならば さあ訪ねてみよう 都鳥よ 私が恋い慕う人は 無事でいるのかいないのかと
「負ふ」の未然形「負は」に「ば」がついているので、「仮定条件」になります。
「已然形」は「確定」のサイン
一方で、「已然形」という形は、もともとそれだけで「確定」を意味していました。
たとえば、
海荒けれ、船出ださず。
(已然形)
という文があるとして、これは「海が荒い!(そのことについて)船を出さない」という文意になります。
ふーん。
もともと「むは」が詰まってできた「ば」ではありましたが、長い間に「ば」として運用されているうちに、「ここまでが前提(条件)」という目印として認識されていったようです。
先ほど見たように、もともと「已然形」という「かたち」で「確定条件」を示すことはできていたのですが、さらにそこに「ば」がつくことによって、「ここまでが前提ですよ」ということがはっきり明示されるようになっていったのですね。
そうして、
海荒ければ、船出ださず。
といった文が定着していきました。
でも、もともと「已然形」のみで「確定」を示せるんだったら、わざわざ「ば」を付け足す必要ってないんじゃないの?
「ば」は「順接」のサイン
「たぶんこうじゃないかな」という水準で話します。
たとえば、「雨こそ降れ、出づ」などという言い方のように、「~こそ~已然形、」という表現は、高確率で「逆接」になるんですよ。
この例文だと、「雨が降るけれど、外に出る」ということになります。
「前提条件」の文を「強く」いうことで、「後ろは逆のことが来るぞ……」というニュアンスになるんですね。
このように、「已然形」という「確定項目」が、「順接」なのか「逆接」なのかについては、後ろまでちゃんと読まないと決着できない場合もありました。
おそらく、それだと不便だから、「順接」なら「ば」をつけて、「逆接」なら「ど」や「ども」を付けておこうよ、ってことになっていったんだと思います。
そういうことで、
已然形 + ば
(確定) (順接)
というつながりが定着していったんだと思います。
ふむふむ。
「已然形」が「確定」のサインで、「ば」が「順接」のサインということなんだな。
「確定条件」の中の「原因・理由」「偶然条件」「恒常条件」
そうです!
さらに区別しておくと、「已然形+ば」の用法には、
①原因・理由 ~ので
②偶然条件 ~(する)と / ~(した)ところ
③恒常条件 ~(する)といつも / ~(する)と必ず
というものがあります。
①だけを指して「確定条件」とする辞書や参考書もありますが、①②③を広く「確定条件」としているものが多いですね。これはどちらで考えてもかまいません。
実際には、ほとんどの用例は①か②であり、しかも①でも②でも訳せるというケースも多いです。
たとえば、「見ければ、」という表現は、「①見たので、」「②見たところ、」のどちらでも訳せるという例文もたくさんあるんですね。
例文(確定条件)
月明かければ、いとよくありさま見ゆ。(土佐日記)
(訳)月が明るいので、たいそうよく様子が見える。
このように、「因果関係」でつながるものは、「確定条件」のなかの「原因・理由」の用法と言います。
それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。(竹取物語)
(訳)それを見ると、三寸くらいである人が、たいそうかわいらしい様子で座っている。
このように、「ば」の前後が「単純な前後関係」に過ぎないもので、強い接着性がないものを「確定条件」のなかの「偶然条件」の用法と言います。
命長ければ、恥多し。(徒然草)
(訳)命が長いと(必ず)恥が多い。
このように、一般論として、「こうなったら、いつもこうなる」という文意を示しているものは、「確定条件」のなかの「恒常条件」の用法です。
「日が落ちると、暗くなる」とか、「冬がくると、寒くなる」といったような自然法則は「恒常条件」ですね。
確定条件には、いろいろあるんだな。
ただ、③の用例は珍しいですね。しかも、「いつも」とか「必ず」といった表現は、必須ではないので、②と③の訳し方はそれほど変わりません。
そのため、基本的には、「① ~ので」と訳すのか、「② ~(する)と / ~(した)ところ」と訳すのか、二択で考える思考回路で大丈夫です。
まずはなによりも、
「未然形+ば」=「仮定条件」
「已然形+ば」=「確定条件」
という2つに大別できることが大切です。