『徒然草』より、「名を聞くより」の現代語訳です。
名を聞くより、~
名を聞くより、やがて面影は推しはからるる心地するを、見るときは、また、かねて思ひつるままの顔したる人こそなけれ。昔物語を聞きても、このごろの人の家の、そこほどにてぞありけんとおぼえ、人も、今見る人の中に思ひよそへらるるは、誰もかくおぼゆるにや。
名前を聞くやいなや、すぐに(その人の)顔つきが推し量られるような気持ちがするが、(実際にその人に会って)見るときは、また、前々から想像していたとおりの顔をしている人はいないものである。昔の物語を聞いても、(物語に出てくる場所について)現在のあの人の家の、あそこあたりであっただろうと思われ、(物語に出てくる)人も、現在会う人の中に自然となぞらえるのは、(私だけでなく)誰もこのように感じるのであろうか。
また、~
また、いかなる折ぞ、ただ今人の言ふことも、目に見ゆる物も、我が心のうちも、かかることのいつぞやありしかとおぼえて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。
また、どのような時であったか、現に今人が言うことも、目に見える物も、自分の心の中(で思っていること)も、このようなことがいつだったかあったなあと思われて、(それが)いつとは思い出せないが、間違いなくあった気持ちがするのは、自分だけがこのように思うのであろうか。