野分のまたの日こそ、~
野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩、女郎花などの上に、よころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。
野分【台風】の(吹いた)次の日こそ、並々でなくしみじみと趣き深い。立蔀や、透垣などが乱れているが、前栽【庭の植え込み】などもたいそう痛々しい。大きな木々も倒れ、枝などの吹き折られたものが、萩や女郎花などの上に、横たわり伏しているは、たいそう思いがけない(様子である)。格子のます目などに、木の葉をわざわざそうしたように、こまごまと吹き入れていることは、荒々しかった風のしわざとは思えない。
いと濃き衣のうはぐもりたるに、~
いと濃き衣のうはぐもりたるに、黄朽葉の織物、薄物などの小袿着て、まことしうきよげなる人の、夜は風の騒ぎに、寝られざりければ、久しう寝起きたるままに、母屋より、少しゐざり出でたる、髪は風に吹きまよはされて、少しうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。
たいそう濃い色の着物で表面のつやが抜けているものに、黄朽葉色の織物や、薄物などの小袿を着て、実直らしくてきれいな人が、夜は風の騒がしさで、寝られなかったので、遅くまで寝ていて起きたままで、母屋から(縁側のほうに)、少し座ったまま出ている(様子が)、髪は風に吹き乱されて、少しふくらんで(ぼさぼさになって)いるのが、肩にかかっているぐあいは、本当にすばらしい。
ものあはれなる気色に見いだして、~
ものあはれなる気色に見いだして、「むべ山風を」など言ひたるも、心あらんと見ゆるに、十七八ばかりやあらん、小さうはあらねど、わざと大人とは見えぬが、生絹の単のいみじうほころび絶え、はなもかへり、ぬれなどしたる、薄色の宿直物を着て、髮、色に、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにて丈ばかりなりければ、衣の裾にかくれて、袴のそばそばより見ゆるに、童、若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこにとり集め、起こし立てなどするを、うらやましげに押し張りて、簾に添ひたる後ろ手もをかし。
しみじみとした様子で外を見て、「むべ山風を【なるほど山風を嵐というのだろう】」などと言っているのも、風流心があるのだろうと思われるが、十七、八歳くらいであろうか、小さくはないが、特に大人とは見えない人が、生絹の単衣がひどくほころび切れ、はなだ色もあせ、濡れなどしている(上に)、薄色の宿直物【宿直をする際の衣服】を着て、髪は、色つやがよく、細かくきちんと整い、毛先もすすきの穂のようにふっさりして(長さは)背丈ほどであったので、(髪が)着物の裾に隠れて、袴の所々から見えるが、(その人が、)童女や、若い女房たちが、根ごと吹き折られた木などを、あちこちに取り集め、起こし立てなどするのを、うらやましそうに(簾を外に)押し出して、その簾に寄り添って(外を見ている)後ろ姿も趣きがある。