柿の木に仏現ずること 『宇治拾遺物語』 現代語訳

昔、~

昔、延喜の帝の御時、五条の天神のあたりに、大きなる柿の木の、実ならぬあり。その木の上に、仏現れておはします。京中の人、こぞりて参りけり。馬、車も立てあへず、人もせきあへず、拝みののしりけり。

昔、醍醐天皇の時代に、五条の天神のあたりに、大きな柿の木で、実がならないものがあった。その木の上に、仏が現れておいでになる。京中の人は、残らずにそろって参拝をした。馬、車も停めることができず、人もせき止められず、大騒ぎして拝んだ。

かくするほどに、~

かくするほどに、五、六日あるに、右大臣殿、心得ずおぼしたまひけるあひだ、まことの仏の、世の末に出でたまふべきにあらず。我、行きて試みむとおぼして、日の装束うるはしくして、檳榔びりやうの車に乗りて、御前おんさき多く具して、集まりつどひたる者ども退けさせて、車かけはづして、しぢを立てて、こずゑを目もたたかず、あからめもせずしてまもりて、一時ばかりおはするに、この仏、しばしこそ花も降らせ、光をも放ちたまひけれ、あまりにあまりにまもられて、しわびて、大きなるくそとびの、羽折れたる、土に落ちて惑ひふためくを、童部わらはべども寄りて、打ち殺してけり。大臣おとどは、さればこそとて、帰りたまひぬ。

こうしているうちに、五、六日が過ぎたが、右大臣殿は、納得ができないとお思いになった間、本物の仏が、世の末に出ていらっしゃるはずがない。自分が、行って試してみようとお思いになって、その日の装束はきちんとして、檳榔の車に乗って、先払いをするお供を大勢引き連れて、(柿の木に)集まりつどっている者どもを退散させ、車から牛を外して、榻【牛車の轅を置くための台】を立て、梢をまばたきもせず、脇目もふらず見守って、一時【約二時間】ほどいらっしゃったところ、この仏は、しばらくの間花を降らせ、光をも放ちなさっていたが、あまりにもあまりにも見守られて、堪えきれなくなって、大きなくそとびで、羽の折れたものが、地面に落ちてあわてふためくのを、子どもたちが寄り集まって、打ち殺してしまった。大臣は、そうであったので【にせものだったので】と言って、お帰りになった。

さて、~

さて、時の人、この大臣を、いみじくかしこき人にておはしますとぞ、ののしりける。

そうして、当時の人は、この大臣を、たいそう賢い人でいらっしゃると、騒ぎ立てた【評判を立てた】。