出典は「十訓抄(じっきんしょう)」です。鎌倉時代中期の作品です。
本文
堀河院の御時、勘解由次官顕宗とて、いみじき笛吹きありけり。ゆゆしき心おくれの人にてぞありける。 院、笛聞こしめさむとて、召したりければ、帝の御前と思ふに、臆して、わななきて、え吹かざりけり。本意なしとて、相知る女房に仰せられて、「わたくしに、局のほとりに呼びて、吹かせよ。」と仰せられければ、月の夜、かたらひ契りて、吹かせたり。女房の聞くと思ふに、はばかる方なく、思ふさまに吹きける、世にたぐひなく、めでたかりけり。帝、感に堪へさせたまはず。日ごろも上手とは聞こしめしつれど、かばかりはおぼしめさず。「いとこそめでたけれ。」と仰せられたるに、「さは、帝の聞こしめしけるよ。」と、たちまちに臆して、さわぎけるほどに、縁より落ちにけり。 さて、「安楽塩」といふ異名をばつきにけり。
十訓抄
解説
それでは、内容を見ていきましょう。
こういう、誰かが話している吹き出しの中は、その古文にまつわる解説です。
堀河院の御時、~
堀河院の御時、勘解由次官顕宗とて、いみじき笛吹きありけり。
院
「院」というのは、もともとは、上皇や法皇のお住まいを指します。そのことから、上皇や法皇その人自身を「院」と呼ぶようになりました。
古文の文章では、かつて天皇であった人を広く「院」と呼ぶことがあります。
ここでの「堀河院」は、この文章が書かれている時点では「かつての天皇」なので、「院」とされていますが、文章中のお話の時点では「天皇」です。第73代天皇の堀河天皇のことです。
そのため、文のなかでは「帝」とも称されています。この文章のなかでの「院」と「帝」は同一人物を指しています。
勘解由次官
「勘解由次官」は「かげゆのすけ」と読みます。「勘解由使(かげゆし)」という役職の副長官のことです。
「勘解由使」というのは、国司(地方の役人)が交代するときに、「前」国司と「新」国司のあいだで取り交わされる「解由状」という書簡をチェックする役割です。
「解由状」というのは、いわゆる「引き継ぎ書」のことです。「勘解由使」がいない時代は、この「解由状」にうそを書いたり、いんちきをする人がけっこういたんですね。チェックする人がいないと、不正が当たり前になって、地方政治が腐敗していってしまうのです。そういった地方政治の腐敗を防ぐために、「勘解由使」は重要な役割を果たしました。
勘解由使は、「五位」に相当する貴族が務めました。「五位」はぎりぎり貴族ですが、天皇のお許しがないと昇殿が許されない立場です。気軽に天皇に接見することはできないのですね。
形容詞「いみじ」
ここでの「いみじき笛吹き」の「いみじき」は、形容詞「いみじ」の連体形です。
「いみじ」の「い」は、漢字で書くとすれば「忌」です。
「いみじ」は、
①とてもよい・すばらしい
②とても悪い・ひどい
③(程度や量が)はなはだしい・とても~
といった3パターンのどれかになります。
文脈で判断するのですが、「とても~」をつけられる語に係っていく場合、③の意味になりやすいです。
そのため、「いみじくおろかなり」といったように、連用形「いみじく」の形になっているものは、ほとんど③です。
逆に、「とても~」をつけるとおかしい文脈であれば、その場合の「いみじ」は「①とてもよい」か「②とても悪い」か、プラスマイナスどちらかの評価を含んだ意味になります。
さて、「いみじき笛吹き」については、「とても笛吹き」とするのはおかしいですよね。ですから、ここでは「③はなはだしい」の意味にはなりません。「①とてもよい」か「②とても悪い」かどちらかの意味になります。
後の文脈で優れた演奏を行う描写がありますので、「①とてもよい」の意味でとっておきましょう。
選択肢問題として問われた場合、「すばらしい」「優れた」「非常に秀でた」など、「とてもよい」の言い換えとして成立する表現を選びましょう。
顕宗はどんな人?
ゆゆしき心おくれの人にてぞありける。
形容詞「ゆゆし」
「ゆゆしき」は、形容詞「ゆゆし」の連体形です。
「ゆゆし」の「ゆ」は、漢字で書くとすれば「斎」です。
終止形ではない形に活用した時に「し」が残っているので、「シク活用」です。
下が助動詞ではないので、本活用(活用表右列)での活用です。
さて、「ゆゆし」の意味は、「いみじ」に似ています。
①とてもよい・神聖だ
②とても悪い・不吉だ
③(程度や量が)はなはだしい・とても〜
の3つのうちのどれかになります。「いみじ」とほとんど同じですね。
ただし、「ゆゆし」のほうが、神様にかかわるニュアンスが強いです。
そのため、「①とてもよい」の意味として、「神聖だ」「神々しい」と訳すことがあります。
また、「②とても悪い」の意味として、「不吉だ」「縁起が悪い」と訳すことがあります。
これも「いみじ」と同じように、「とても〜」をつけられる語に係っていく場合、③の意味になります。
この文では、「ゆゆしき心おくれの人」となっていますね。「心おくれの人」というのは、「気が弱い人」という意味になります。ということは、「とても気が弱い人」ということができます。したがって、「③はなはだしい・とても〜」の意味になります。
過去の助動詞「けり」
結びの「ける」が終止形ではないことにも注目しましょう。
これは過去の助動詞「けり」の連体形です。
文中に「ぞ」があるために、結びが「連体形」に変化しているのです。
「係り結びの法則」というものですね。
堀河院は、顕宗を呼びましたが……
院、笛聞こしめさむとて、召したりければ、帝の御前と思ふに、臆して、わななきて、え吹かざりけり。
意志や推量の助動詞「む」
まずは「む」に注目です。この「む」は助動詞です。助動詞とは、主に動詞の後ろについて、様々な「意味」を補足するものですね。
「む」は文脈に応じていろいろな意味になるのですが、ひとまず代表的なものとして「意志」と「推量」を覚えておきましょう。
「~しよう」と訳すものは「意志」です。
「~だろう」と訳すものは「推量」です。
ここでは「帝が、(顕宗の)笛をお聞きになろうとして」と訳すのがよいので、「意志」の意味になります。
え~ず 【重要構文】
ここでの最も重要な構文は、「え吹かざりけり」です。
「ざり」は、打消の助動詞「ず」の連用形です。
え ~ ず
という構文で、古文では「~できない」と訳します。
ここでは「え吹かず」ということになりますから、
「吹くことができない」となります。
そこに、「けり」という過去の助動詞が付いていますから、
吹くことができなかった。
と訳します。
堀河院は、どう思って、それからどうしたのでしょう?
本意なしとて、相知る女房に仰せられて、「わたくしに、局のほとりに呼びて、吹かせよ。」と仰せられければ、月の夜、からたひ契りて、吹かせけり。
わたくし
「わたくし」というのは、「私」と訳さないほうがよいです。古文の「わたくし」は「個人的」という意味です。英語で言うと「プライベート」です。
「自分」と訳してもいいですね。
「自分って私のことでしょ?」と思うかもしれませんけれど、関西のほうですと、「あなた」の意味でも「自分」という言葉を使います。
大坂の人は、「おまえはどこから来たのだ?」という意味で、「ジブン、どっから来たんや?」と言います。
「わたくし」を「私」と訳してしまうと、セリフを発している当人を指すことになってしまうのですが、古文の「わたくし」は、「相手」を指していることもあるので、「私」と訳すとおかしくなることが多いのです。実際、この「帝」のセリフにおける「わたくし」は、「女房その人」を指しています。つまり、「相手」を指しています。
したがって、古文で「わたくし」という語を見かけたら、「私」とはせずに、「自分」「個人的」などと訳しましょう。
この場面では、「個人的に」などと訳しておくといいですね。
「局」は「つぼね」と読みます。貴族の身のまわりの世話をする女性を「女房」と言いますが、その「女房」の居住する部屋を指します。女房その人を「○○局」と呼ぶこともありますが、この場面では「部屋」の意味です。
「個人的に、あなたの部屋のそばに呼んで、笛を吹かせなさい。」と命じたのですね。
最高敬語
「仰せられて」という表現に注目しましょう。
「仰す」は「おほす」と読みます。「おっしゃる」という意味になる尊敬語(敬語動詞)です。そこに、「らる」という助動詞が付いています。
「らる」という助動詞は、文中では「られ」の形で登場することが多いです。「自発」「受身」「尊敬」「可能」といった4種類の意味になるのですが、ここでは「尊敬」の意味です。
「仰す」という尊敬語に、「らる」という「尊敬」の意味の助動詞が付いているのです。
これは、やや特殊に見える用法です。「尊敬語」に「尊敬の助動詞」がついているということは、「尊敬」のニュアンスが重複しているからです。わざわざ、尊敬の意味合いをダブルにしているのです。この用法は、その動作主がたいそう偉いことを示しているのです。どのくらい偉いかというと、天皇・皇后・皇太子・皇太后といったレベルです。つまり、皇族レベルにしか使用されない表現なのです。このことから、このセリフを述べている人物は、「堀河院」であると考えられます。
このように、尊敬語と尊敬の助動詞をセットで用いる用法を「最高敬語」と言います。
なお、「らる」と同じ意味を持つ助動詞に「る」があります。こちらも、文中では「れ」の形で登場することが多いです。
助動詞「す」
「吹かせけり」の「せ」に注目しましょう。
この「せ」は助動詞です。基本形は「す」です。文中では「せ」の形で登場することが多いです。
「す」という助動詞は、「~させる」という「使役」の意味を持ちます。
ところが、あるパターンの場合には、「使役」の意味が薄れて、「尊敬」の意味になることがあります。それは、下に尊敬語である「たまふ(給ふ)」を伴うときです。下に「たまふ」があるときは、「す」は「せ」の形になります。そのため、セットになると「~せたまふ」となります。
「~せたまふ」となっている場合、その「せ」は、「尊敬」の意味になります。
例外もあるのですが、「せたまふ」のセットは、基本的に「尊敬の助動詞」+「尊敬語」という表現になります。
おや? 先ほど学んだ「最高敬語」の用法に似ていますね。
そのとおりです。「○○せたまふ」という表現は、皇族レベルにしか使用しない表現です。この後、本文にも実際に出てきます。
この場面での「吹かせけり」という使い方は、「せ」の後ろに「たまふ」がないですね。このように単独で用いられている「す」「さす」は「使役」です。「けり」が過去ですから、「吹かせた」と訳せばよいですね。
なお、「す」と同じ意味を持つ助動詞に「さす」があります。こちらも、文中では「させ」の形で登場することが多いです。
箇条書きでまとめておきましょう。
〈る・らる〉
①助動詞「る」と助動詞「らる」は同じ意味
②意味は「自発」「受身」「可能」「尊敬」の4つ
③「る」は文中で「れ」の形で登場することが多い
④「らる」は文中で「られ」の形で登場することが多い
〈す・さす〉
①助動詞「す」と助動詞「さす」は同じ意味
②意味は「使役」「尊敬」の2つ
③直後に尊敬語「たまふ」がある場合の多くは「尊敬」の意味
(「せたまふ」「させたまふ」のセットのとき、「せ」「させ」は9割「尊敬」)
④直後に尊敬語がない場合、「使役」の意味
⑤「す」は文中で「せ」の形で登場することが多い
⑥「さす」は文中で「させ」の形で登場することが多い
帝がいないと思った顕宗は、どんな演奏をしたのでしょう?
女房の聞くと思ふに、はばかる方なく、思ふさまに吹きける、世にたぐひなく、めでたかりけり。
体言の省略
帝ではなく女房が聞いているんだ、と思うと、顕宗は、遠慮することなく、思うままに笛を吹いたんです。
「ける、」となっていますね。普通、「読点(、)」の上は連用形になるのですが、ここでは連体形になっています。結びが連体形になっている場合、「係り結びの法則」を疑うのですが、文中に「ぞ」「なむ」「や」「か」といった係助詞がありません。したがって、「係り結びの法則」ではありません。
これは「言わなくてもわかる体言の省略」です。
古文では、「こと」「とき」「うた」「さま」といった、「なくてもわかる体言」は、積極的に省略される傾向にあります。
ここでは、「音」などの体言が省略されています。
訳をする場合は、「思うままに吹いた音色(演奏)」などと、体言を補って訳すようにしましょう。
形容詞「たぐひなし」
「たぐひなく」は、「たぐひなし」というク活用の形容詞です。ここでは本活用の連用形になっています。「たぐひ」は、漢字で書くなら「類」か「比」です。
類例がない
比べるものがない
などと訳しましょう。
形容詞「めでたし」
「めでたかり」は、「めでたし」というク活用の形容詞です。ここでは補助活用(カリ活用)の連用形になっています。どうして補助活用のほうになっているかというと、下に「けり」という助動詞があるからです。形容詞は、下に助動詞が続くときは、補助活用(活用表の左列)になるのです。
古語には「愛づ(めづ)」という動詞があります。「大切にする」という意味です。
また、古語には「甚し(いたし)」という形容詞があります。「はなはだしい・とても」という意味です。
これらがセットになると、「愛で甚し(めでいたし)」になります。詰まって一語化し、「めでたし」という形容詞になりました。とても大切にすべきものを形容する言葉です。
訳は「すばらしい」としておけば大丈夫ですが、選択肢問題の場合、「見事だ」「実に立派だ」「優秀だ」などのように、「すばらしい」の言い換えとみなせるものを選びましょう。
顕宗の演奏に対して……
帝、感に堪へさせたまはず。
最高敬語
この「帝」は、最初に出てきた「堀河院」のことです。
「堪へさせたまはず」の「堪へ」は、「堪ふ」という動詞です。「こらえる」という意味になります。
さきほど説明した「させたまふ」が出てきましたね。「させ」は助動詞「さす」です。もともとは「使役」の意味ですが、「たまふ」とセットになると、9割くらい「尊敬」の意味になります。「たまふ」は尊敬語の敬語動詞です。
尊敬の助動詞+尊敬語
というセットなのですね。「最高敬語」というものです。このときの動作主は、皇族レベルの人です。
「感に堪へさせたまふ」であれば、「感動をおこらえになる」というように訳しますが、この文では最終的に「ず」で否定されているので、「感動をおこらえにならない」などと訳します。
こっそり聞いていた堀河院は、どう思ったのでしょう?
日ごろより上手とは聞こし召しつれど、かばかりは思しめさず。
指示語「か」
「かばかり」の「か」は指示語です。直前に起きた具体的な現象や、目の前にある具体的な物体を指し示すことが多い指示語です。
ここでは、顕宗の演奏を指しています。
普段から、(顕宗の演奏が)上手とはお聞きになっていたが、これほど(上手である)とはお思いにならない。
と訳します。
実際に演奏を聞いてみると、噂以上にすばらしかったのですね。
係り結びの法則
「いとこそめでたけれ。」と仰せられたるに、
「仰せられければ」という「最高敬語」で表現されているので、直前のセリフを発したのは「帝」です。
要するに「帝」は、物陰にかくれて演奏を聴いていたのですね。
副詞「いと」
さて、この「帝」のセリフには、「いと」という表現があります。これは「とても」という意味です。古文では頻繁に出現します。
さらに、「こそ」という係助詞があります。
「係り結びの法則」にしたがい、文中に「こそ」がある場合、結びは「已然形」になります。
その法則により、「めでたし」は「めでたけれ」という已然形になっています。
このセリフは、「いと」という副詞で強調されているだけでなく、「係り結びの法則」によって、さらに強調されているのですね。
つまり、「帝」は、非常に感動して、それを表明したのです。
帝の声がしたことに対して、顕宗は……
「さは、帝の聞こしめしけるよ。」と、たちまちに臆して、さわぎけるほどに、縁より落ちにけり。
「さては、帝がお聞きになっていたのか!」と思ったのですね。それで、すぐに気おくれしてしまって、おたおたしていると、縁側から落ちてしまったのです。
「落ちにけり」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形です。
完了の助動詞「ぬ」は、
未 / 用 / 終 / 体 / 已 / 命
な / に / ぬ /ぬる/ぬれ/ ね
と活用します。
古文の文章で、
動詞+に+けり
となっている場合、その「に」はすべて完了の助動詞「ぬ」の連用形です。
縁から落ちた顕宗に対して、人々は?
さて、「安楽塩」といふ異名をばつきにけり。
そうして、「安楽塩」というニックネームがついた。
ということです。
「安楽塩」というのは、当時存在していた笛の楽曲のようです。今は、どんな曲だったのかはわかっていません。ただ、そのようなタイトルの曲があったのは確かであるようです。
顕宗が縁から落ちた、つまり「落縁」したことに引っ掛けて、人々は顕宗を「安楽塩」と呼ぶようになったのですね。「らくえん」という「読み」がかぶっていることから付けられたのです。駄洒落ですね。
現代風に言えば、虎のイラストのトレーナーを着ていた人物に「トライエブリシング」というあだ名をつけるようなものです。
あるいは、「ウーウーウー」と消防車のサイレンのまねをして遊んでいた人物に「サイレントマジョリティー」というあだ名をつけるようなものです。
深い意味はなく、音の響きがかぶっている駄洒落です。