いまこむと いひしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな
和歌 (百人一首21)
今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
素性法師 『古今和歌集』
歌意
今すぐ来ようと(あなたが)言ったばかりに、陰暦九月の夜長を待つうちに、有明の月が出てきてしまったよ。【有明の月が出るのを待ってしまったよ】
作者
作者は「素性法師」です。三十六歌仙の一人です。
俗名は「良岑玄利」と言われています。
お父さんは「僧正遍照」で、遍照が在俗(良岑宗貞)のころの子どもです。
『大和物語』によれば、父遍照が、「法師の子は法師になるがよい」と言って、強引に出家させたようですね。
ありゃあ。
当時の習慣では、「女のところ」に「来る」のは男の行為です。女のところで夜を過ごし、たいていは「有明の月」の時間帯に帰っていきました。
つまり、この歌は、「男」が「今にも来るよ」と言っているくせに、「有明の月」が見える時間帯(普通だったら変える時間帯)になっても来やしないという意味になります。
「素性法師」は男性ですから、この歌は女性に仮託して詠んだ代詠歌になりますね。
女になりかわって詠んだということなんだね。
『古今和歌集』には、女性仮託の代詠歌はけっこう出てきますよ。
「そんなヒロシにだまされて」とか、J-POPにもけっこう出てくるぞ!
ポイント
今来むと
「む」は「意志」の助動詞「む」の終止形です。
「今すぐ来よう」と言っているのですね。
言ひしばかりに
「し」は、「過去」の助動詞「き」の連体形です。
「ばかりに」は、副助詞「ばかり」+接続助詞「に」であり、「範囲・程度・限定」などを意味します。
ここでは、「あなたが言った」ということを「限定」して表現しています。つまり、「あなたが来るって言った、その一言だけで私は待っていたのよ」という意味合いになりますね。
通常は、「~ほどに・~くらいに・~だけに」などと訳せばいいのですが、「限定」の用法はこのまま「言ったばかりに」と訳しても現代語として通じますので、無理して言い換えなくてもOKです。
長月の
「長月」は、陰暦九月のことです。季節は「晩秋」です。
「長月」はもともと「夜長月」と呼ばれていたという説がありまして、そのくらい「夜」が長いのですね。中古ではとにかく「月」が最高の美ですから、「月」を鑑賞できる時間が長い季節を「長月」としたのでしょうね。
貴族の男性が女性の家に行くのは夜ですから、通常であれば「長月」は会っていられる時間が長い季節です。
しかし、この歌のように「男が来ない状態」であると、「待っている時間」も長いことになります。
有明の月を
月は、「朔日」から始まり、「三日月」「上弦の月(上旬の半月)」のころは、早いうちに空に出ていて、明け方はもう隠れています。
「望月」を経て、月の後半になってくると、月はだんだん右側から欠けていき、それに伴って出るのが遅くなります。「下弦の月(下旬の半月)」のころは、待っていてもなかなか出てきません。
「立待の月 ⇒ 居待の月 ⇒ 寝待の月」という呼び方もあるように、はじめは立って待っているのですが、次に座って待つようになり、やがて寝ながら待つようになります。
そのぶんだけ、月の下旬には「右側の大部分が欠けた月」が明け方にもまだ空に残っているようになります。
その「左サイドにギリギリ形があって明け方も空に残っている月」が、「有明の月」ですね。
夜が「明」けても空に「有」るということです。
待ち出でつるかな
「つる」は「完了」の助動詞「つ」の連体形です。
「かな」は「詠嘆」の終助詞です。
「有明の月が出るのを待ってしまったなあ」という意味ですね。
「あなた」を待っていたのに、その「あなた」は来なくて、結局「有明の月」が出るのを待ってしまったんだ、ということなんだな。
これは、本当だったらもっと怒っていい歌だよね。
ああ~。
もうちょっと怒りを込めてほしかったね。
実際に詠んでいるのが男性なので、「男性への怒り」は表現しにくかったのでしょうかね。