形容動詞の活用 ― ナリ活用とタリ活用 ―

今日は形容動詞の活用について学びましょう。

「形容動詞」は、活用する自立語で、言い切りのかたちが「ーなり」「―たり」になる品詞だったな。

「豊かなり」とか「あはれなり」とか、そういうやつだ。

そうです。

形容動詞の【活用の種類】は2つあります。

「ーなり」なら「ナリ活用」で、「ーたり」なら「タリ活用」です。

これは覚えやすいぞ。

ナリ活用

古文で登場する「形容動詞」は、ほとんどが「ナリ活用」です。

豊かなり
静かなり
大きなり
あはれなり
清らなり
明らかなり
安らかなり
をかしげなり
あだなり
まれなり

といったものですね。

活用の仕方は「ラ行変格活用」がベースです。

というと、「古文あるある」のひとつである、「あり」がくっついてできた語なんだろうな。

そのとおりです。

豊かにあり ⇒ 豊かなり
あはれにあり ⇒ あはれなり

というつながりですね。

(例)「静かなり」の活用表

「静かなり」の活用表です。

   し   語
   づ   幹
   か
ーーーーーーー
    な  未
    り  然
ーーーーーーー
 に  な  連
    り  用
ーーーーーーー
    な  終
    り  止
ーーーーーーー
    な  連
    る  体
ーーーーーーー
    な  已
    れ  然
ーーーーーーー
    な  命
    れ  令

*命令形の用例はほとんどない。

連用形は2つ

「あり」がベースだから、「ら/り/り/る/れ/れ」となるのはわかるんだけど、連用形が「なり」と「に」の2つになってるのはどうしてなんだ?

さきほど、

「静かにあり」がつまって「静かなり」になっていったと話しましたね。

それは、動詞の部分が「あり」だから起きる現象なんです。

たとえば、「静かに暮らす」とか「静かに参る」などという場合、「暮らす」「参る」といった動詞は、具体的な意味が強いため、「あり」のように他の語に混じっていく浸透力がありません。

この場合は、「静かに」で一単語とみなします。用言を修飾していますので、「連用形」です。

一方、「静かにありて」という表現であれば、「静かなりて」と圧縮されていきます。「て」の直前の「静かなり」は、一語の扱いで、「連用形」になります。

どちらも連用形なので、「ナリ活用の連用形活用語尾」には、「に」という形と、「なり」という形の2パターンがある、ということになります。

「あはれに」「清げに」といった言い方は、「あり」が混じる「前」の形なんだな。

そういうことになるな。

タリ活用

続いて、「タリ活用」を確認しましょう。

「厳然たり」という形容動詞の活用表です。

   厳   語
   然   幹
ーーーーーーー
    た  未
    り  然
ーーーーーーー
 と  た  連
    り  用
ーーーーーーー
    た  終
    り  止
ーーーーーーー
    た  連
    る  体
ーーーーーーー
    た  已
    れ  然
ーーーーーーー
    た  命
    れ  令

*未然形・已然形・命令形の用例はほとんどない。

「ナリ活用」の成立から推察すると、これも、

「厳然とあり」⇒「厳然たり」

と混ざっていったんだろうな。

そのとおりです。

したがって、「ナリ活用」と同じ理屈で、「連用形」には「と」と「たり」の2つの形があります

ただ、「タリ活用」は「漢語」に「とあり」がついたものなので、平安時代の和文にはあんまり出てきません。

じゃあ覚えなくていいの?

熊谷直実
熊谷直実

そうはいかぬ!

粛然とせず、声に出して覚えよ!

平敦盛
平敦盛

堂々と用いよ!

なんかうるさいのが来たぞ。

岸打つ波も茫々ぼうぼうたり

漫々まんまんたる海上なれば、いづちを西とは知らねども、……

和漢混淆わかんこんこうにはけっこう出てきますからね。

『平家物語』の登場人物としてはゆずれないのでしょう。

「状態・性質 + なり(たり)」で一語

でも、これって、たとえば「あはれなり」っていう「形容動詞」を、

名詞「あはれ」+断定の助動詞「なり」って考えちゃいけないもんなの?

つまり、一語じゃなくて、二語って考えるのはだめなの?

そのように考える立場もあります。

実際、「あはれ」という語そのものは、「名詞」で使用する場合もあるんですね。

ただ、学校で教わる文法の重要な点として、次のことをおさえてほしいです。

名詞(体言)は、あくまでもそれを呼ぶための名称であり、性質や状態を示すことをしない

??

たとえば、「バッドコミュニケーションボーイズ」っていうバンドがあるとして、そのバンドのメンバーがとっても仲良しっていうことはありえますよね。

ああ~。

あるかもね。

よね」っていう名前なのに、ご飯がそんなに好きじゃなくて、パンが大好きってありえますよね。

十分可能性はあるぞ。

「名詞」というのは、そういうものであって、「名付けた瞬間」は、その特性を活かして名付けたとしても、「名詞」として機能しているものは、「ただそれを呼ぶためのもの」なのです。

たとえば、「ラーメン超絶美味」っていうお店が、「あんまり美味しくない」ということはありうることです。

むしろ、よくあるよね。

たとえば、

よろづのあはれは思ひ知らるれ。(さまざまな情愛が理解される)

という文であれば、ここでの「あはれ」は、「情愛」「人情」といった「概念の名称」として機能しています。この「あはれ」は、何かの状態や性質を示していませんし、主語の文節になっているので、「名詞」であると言えます。主語になることができる品詞は「名詞」だけだからです。

しかし、たとえば、

少将の詠めるうた、あはれなり

という表現であれば、「少将が詠んだうた」に対して、「趣き深い」と言っていることになります。つまり、「あはれ」の部分が「状態・性質」を意味していることになりますので、「名詞」とは言えません。

この場合は、直後の「なり」とまとめてしまって、「あはれなり」で一語の形容動詞と考えます。

ほほう。

以上の理由で、学校で教わる文法では、

「状態や性質を示す語」+「なり(たり)」は、まとめて一語の形容動詞と考えます。

ただ、文法にはいろいろな立場がありますので、形容動詞を認めない立場もあることは頭に入れておきましょう。

「なり」にはいろいろある

余談ですが、古文で「なら」「なり」「なる」「なれ」といったひらがなが出てきたら、主に次の4パターンの可能性がありますので、いずれは識別できるようになっていきましょう。

断定の助動詞
伝聞・推定の助動詞
形容動詞の活用語尾
動詞「なる」

これは困難だぞ。

あわてなくていいですよ。

「助動詞」まで学習が進んでからで大丈夫です。

いちおう、識別についての説明を貼っておきます。