ここもとに「侍り」といふ文字をあらせばやと、聞く事こそおほかれ。(枕草子)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

 文ことばなめき人こそ、いとどにくけれ。世をなのめに書きながしたることばのにくさこそ。さるまじき人のもとに、あまりかしこまりたるも、げにわろき事ぞ。されど、わが得たらむはことわり、人のもとなるさへにくくぞある。
 おほかた、さし向かひても、なめきは、などかく言ふらむと、かたはらいたし。まして、よき人などをさ申す者は、さるは、をこにて、いとにくし。
 男主などわろく言ふ、いとわろし。わが使ふ者など、「おはする」「のたまふ」など言ひたる、いとにくし。ここもとに「侍り」といふ文字をあらせばやと、聞く事こそおほかれ。「愛敬な。などことばは、なめき」など言へば、言はるる人も笑ふ。かくおぼゆればにや、「あまり嘲弄する」など言はるるまであるも、人わろきなるべし。

枕草子

現代語訳

手紙の言葉が無礼な人こそ、なんともひどくにくらしい。世間をいい加減に書き流してある言葉のにくらしさ(はいっそうだ)。それほどでもない人のところに、あまり恐縮するのも実によくないことだ。しかし、(無礼な手紙は)自分がもらったようなときは当然のこと、人のところに来た手紙さえにくらしい。だいたい、直接向かい合っていても、無礼な言葉は、どうしてこのように言うのだろうかと、いたたまれない。まして、立派な人(身分が高くて教養がある人)のことなどをそのように【無礼に】申し上げる者は、そうであっても実は、愚かで、たいそうしゃくにさわる。男主人などを悪く言うのは、とてもよくない。自分の使用人などが、(夫のことを)「いらっしゃる」「おっしゃる」などと言うのも、たいそうにくらしい。その言葉のあたりに、「ございます」という文字を置かせてほしいと、聞くことが多い。(私が)「まあ、かわいげがない。どうして(あなたの)言葉は、失礼なのか」などと言うと、言われる人も笑う。このように感じるからだろうか、(言葉とがめをする私に対して)「あまり人をばかにしている」などと言われることまであるのも、きっと体裁が悪いからに違いない。

ポイント

侍り 敬語動詞(ラ行変格活用)

「侍り」は、敬語動詞「はべり」の終止形です。

本動詞ならば「謙譲語」か「丁寧語」であり、補助動詞ならば「丁寧語」と考えます。

この文脈では、「丁寧な語があってほしい」という文意ですので、「丁寧語」と考えて、「あります」「おります」「ございます」などと訳しましょう。

あり 動詞(ラ行変格活用)

「あら」は、動詞「あり」の未然形です。

「あり」は「存在する」ということですが、文脈によって広く訳し分ける必要があります。

ここでは、「侍り」という文字を「存在させる」という文意なので、「置く」などと訳してもいいですね。

す 助動詞

「せ」は、助動詞「す」の未然形です。ここでは「使役」の意味です。

「使役」は、「誰かに何かをさせる」ということですが、ここでは、「使ふ者」の言葉の用い方に注文をつけている場面なので、「誰か」に該当するのは「使ふ者」と考えられます。

「使ふ者」の言葉遣いに対して、このへんに「侍り」という文字を「存在させてほしい」「存在させたい」と述べていることになります。

ばや 終助詞

「ばや」は「願望」の終助詞です。

もともと、「未然形+ば」が「仮定条件」を意味するものであり、それに「や」がつくことによって、「(もし)~だったらどうか」「(もし)~だったらなあ」という意味を持ちました。

終助詞として用いられると、その「もしもの状態」に対して、「そうだったらいいのになあ」というかたちで「その状態を望んでいる」用い方になりますので、実質上「願望」を示しているということになります。

ここでの「『侍り』といふ文字をあらせばや」も、細かく意味を取ると、

(もし)このあたりに「ございます」という文字を存在させていればなあ……

というニュアンスです。

実質上、「侍り」という文字を「存在させたい・存在させてほしい」と望んでいることになりますので、「願望」の終助詞と考え、「~たい」「~てほしい」と訳すことになります。