いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにしがなと、常にこそおぼゆれ。(枕草子)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

よろづのことよりも、情けあるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ。なげのことばなれど、せちに心に深く入らねど、いとほしきことをば「いとほし」とも、あはれなるをば「げにいかに思ふらむ」など言ひけるを、伝へて聞きたるは、差し向かひて言ふよりもうれし。いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにしがなと、常にこそおぼゆれ。かならず思ふべき人、とふべき人は、さるべきことなれば、とり分かれしもせず。さもあるまじき人の、さしいらへをも、うしろやすくしたるは、うれしきわざなり。いとやすきことなれど、さらにえあらぬことぞかし。おほかた、心よき人の、まことにかどなからぬは、男も女もありがたきことなめり。また、さる人おほかるべし。

枕草子

現代語訳

(他の)あらゆることよりも、人情があることが、男はもちろん、女もすばらしいと思われる。何気ない言葉であっても、切実に心の奥深くからではなくても、気の毒なことを「気の毒だ」とも、悲しいことを「本当にどのように思うだろう」などと言ったのを、伝え聞いたのは、面と向かって言うことよりもうれしい。何とかしてこの人に、(人情を)思い知ったことをわかってほしいと、いつも思われる。(自分のことを)必ず思うはずの人や、(安否を)問うはずの人は、当然のことであるから、取り立てることではない【特別なことではない】。そうではないはずの人が、うけこたえをも、(私に)気安くしてくれたのは、うれしい行いである。とてもたやすいことであるが、なかなかできないことだよ。だいたい、性格がよい人で、真に才能がある人は、男も女もめったにいないようだ。いや、そういう人も多いはずだ。

ポイント

いかで 副詞

「いかで」は「願望の終助詞」などとセットになると「なんとかして~したい(してほしい)」と訳します。

「いかで」は、下に推量の語を伴う場合、

【疑問】どうして~ / どういうわけで~ / どのようにして~
【反語】どうして~か、いや、そんなことはない。

などと訳します。

下に願望や意志の語を伴う場合、

【強い願望】どうにかして/ぜひとも/なんとしても

などと訳します。

けり 助動詞

「けり」は、本質的に「それが起きたことを事後的に知ったもの」に使用します。

そのため、「人から聞いた出来事(過去)」や、「後から気づいたこと(詠嘆・気づき)」などに用います。

「思ひ知りけりと見えにしがな」という場合の「けり」は、「過去」なのか「詠嘆」なのか判別しにくい用い方です。

「語り手」から見れば「自分の経験」に用いているので、「詠嘆(気づき)」の用法と考えられます。しかし、ここは、文脈上「私が思い知ったことを、その相手にわかってほしい」ということになりますから、「相手」からしてみれば「伝え聞いた客観的な過去」であると言えます。

このように、助動詞「けり」は、「過去」なのか「詠嘆(気づき)」なのか、きっぱり区別できない例がけっこうあります。

見ゆ 動詞(ヤ行下二段活用)

「見え」は、動詞「見ゆ」の連用形です。

「見ゆ」は、主に、「見える」「見られる」「目に入る」「思われる」「現れる」など、文脈に応じて多様な訳になります。

「見ゆ」の「ゆ」は、助動詞「る」とほぼ同じ役割を果たします。

もともとが「自発」なので、「見える」「目に入る」「現れる」という意味で用いられることが多くなりますが、この例文のように、〈受身〉の意味を採用し、「見られる」「思われる」と訳すこともあります。

また、「見えず」のように、下に打ち消し表現を伴う場合、〈可能〉の意味を採用し、「目にすることができない」と訳すこともあります。

このように、上代には助動詞「ゆ」「らゆ」があり、〈自発〉〈受身〉〈可能〉を意味しました。

動詞「見ゆ」や「覚ゆ」などは、その「ゆ」を取り込んで一語化した動詞です。

なお、「ゆ」「らゆ」を後継した「る」「らる」には、上記3つの意味以外に〈尊敬〉の用法があります。

にしがな  終助詞(連語)

助動詞「ぬ」+助動詞「しか」+終助詞「な」という連語が、一語の終助詞のように用いられています。

「詠嘆を含む希望(願望)」を示しており、「~たいものだ」「~たいものだなあ」などと訳します。

同じ構造の表現に「てしがな」があります。こちらは助動詞「つ」が上接したものです。

「な」はあとからついたもので、また、もともとは清音でしたので、「にしか」「てしか」とも言います。

「にしがな」「てしがな」「にしか」「てしか」などはセットで覚えてしまい、「~たいものだ」と訳していきましょう。

おぼゆ 動詞(ヤ行下二段活用)

「おぼゆれ」は、動詞「おぼゆ」の已然形です。