〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。
内のさまは、いたくすさまじからず、心にくく、火はあなたにほのかなれど、ものの綺羅など見えて、俄かにしもあらぬ匂ひ、いとなつかしう住みなしたり。「門よくさしてよ。雨もぞ降る。御車は門の下に。御供の人はそこそこに」と言へば、「今宵ぞやすき寝は寝べかめる」とうちささめくも、忍びたれど、ほどなければ、ほの聞こゆ。
徒然草
現代語訳
(宿の)内側は、それほど興ざめなようすではなく、奥ゆかしく、(部屋を照らす)火は向こうのほうでかすかに灯っているが、調度品の美しさなどが見えて、急に焚いたのではない香りがして、たいそう心引かれるように住んでいる。「門をしっかり閉めてよ。雨が降ると困る。御車は門の下に。御供の人はどこそこに」と(家の人が)言うと、「今夜は心安らかに眠れそうに思える【今晩は落ち着いて眠れるはずのようだ】」と(供の者が)ささやくのも、(声量を)おさえてはいるが、(空間が)狭いので【距離がないので】、かすかに聞こえる。
ポイント
今宵 名詞
「宵(よひ)」は、「夜に入ってすぐ」のころを言います。
「今宵」の訳語は、「今夜」「今晩」でOKです。
以下のことばがどのあたりの時間帯を指しているのか、おさえておきましょう。
あかつき (夜明け前)
あけぼの・かはたれどき (明け方)
つとめて (早朝・翌朝)
あした (朝・翌朝)
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ひねもす (一日中)
**************
ゆふ・たそかれ (夕暮れ)
よひ (夜に入ってすぐ)
よは (夜中)
よもすがら (一晩中)
なお、「かはたれどき」は、「彼は誰れ時」であり、「たそかれ」は「誰そ彼れ」です。
どちらも、「そこに誰かがいることはわかるが、それが誰であるかまではわからない」という状況を意味しています。つまり、うすぼんやりとしていて、明るいとも暗いともいえない時間帯なのですね。
「かはたれどき」は明け方、「たそかれ」は夕方に使われました。
やすし 形容詞(ク活用)
「やすき」は、形容詞「やすし」の連体形です。
「やすし」は、「易し」の意味(平易だ)も「安し」の意味(安らかだ)もありますが、ここでは文脈上、「安し」と考えます。
「やすき寝」で「落ち着いた(安らかな)眠り」という意味になります。端的にいえば「安眠」ですね。
寝は寝 連語
ひとつめの「寝」は名詞で、「い」と読みます。
ふたつめの「寝」は動詞で、「ぬ」と読みます。
名詞の「寝」は、単独で用いられることがなく、「寝を寝」「寝も寝られず」などといったように、動詞「寝」とセットで用いられることがほとんどです。
このセットで、「眠る」「寝る」「睡眠をとる」と訳せばOKです。
すると、「やすき寝は寝」というセットで、「落ち着いて眠る」「安眠する」などと訳すことになります。
べかめり 連語
助動詞「べし」+助動詞「めり」です。
「べかるめり」の撥音便「べかんめり」の「ん」が表記されていないかたちですので、読むときは「べかんめり」と読みます。
「~にちがいないようだ」「~はずのようだ」「~しそうに見える・思える」などと訳します。
ここでも直訳すると「心安らかに眠るにちがいないようだ」とか、「心穏やかに眠れそうに思える」などとなります。もし制限字数が短めであれば、「安眠できそうに思える」くらいにしてもいいですね。
要は、「べし」の意味する「こうなるはずだ」「こうなりそうだ」という「当然」の要素と、「めり」の意味する「ようだ・ように見える(思える)」という「主観的判断」の要素が訳に反映されていればOKです。
べし 助動詞
「べかる」は、助動詞「べし」の連体形です。
「べし」には、「推量」「意志」「可能」「当然」「命令」「適当」など、数々の意味がありますが、根本的には「当然」の意味であり、特に連体形で使われるときには「当然」になりやすい傾向があります。
さらに、「べかめり」という連語の場合は、「めり」が「推定・婉曲」として「ようだ・ように見える・ように思える」と訳されますので、自然な訳し方をする観点から言うと、「はずのようだ」「ちがいないようだ」とするのがよいです。あるいは、「~しそうに見える(思える)」ということですね。「はず」「ちがいない」「しそうだ」という訳が適している場合の「べし」は「当然(予定)」の意味になります。
たしかに、「~だろうようだ」とか、「~しようようだ」って変だね。
めり 助動詞
「める」は、助動詞「めり」の連体形です。
係助詞「ぞ」があるので、結びが連体形になっています。
助動詞「めり」には、「推定(視覚による推定)」「婉曲(断定を避けた主観的判断)」という2パターンの使い方がありますが、区別しきれない場合も多いです。
今回も、「宿の様子」を見て、「安眠できそうだ」と言っているので、「視覚による推定」とも言えますが、「これ!」という明確な根拠が視覚的に示されているわけではないので、断定を避けた「婉曲表現」とも言えます。
訳語としてはどちらも「ようだ」で通用しますので、あまり深く悩まないようにしましょう。
この例文の「めり」に傍線を引いて、「ア 推定 イ 婉曲」の二択で選ばせるような問題はありません。識別不可能だからです。