〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。
中納言参りたまひて、御扇奉らせたまふに、「隆家こそいみじき骨は得てはべれ。それを張らせて参らせむとするに、おぼろけの紙はえ張るまじければ、求めはべるなり。」と申したまふ。「いかやうにかある。」と問ひ聞こえさせたまへば、「すべていみじうはべり。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり。』となむ人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ。」と、言高くのたまへば、「さては、扇のにはあらで、海月のななり。」と聞こゆれば、「これは隆家が言にしてむ。」とて、笑ひたまふ。かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一つな落としそ。」と言へば、いかがはせむ。
枕草子
現代語訳
中納言(藤原隆家)が参上なさって、(中宮様に)御扇を献上なさるときに、「隆家【私】はすばらしい(扇の)骨を手に入れました。それに紙を張らせて差し上げようと思うが、ありふれた紙は張ることができそうにないので、(すばらしい紙を)探しております。」と申し上げなさる。(中宮様が)「(その骨は)どのようであるか。」とお尋ね申し上げなさると、(隆家は)「すべてがすばらしゅうございます。『まったくまだ見たことのない骨の様子だ。』と人々が申し上げる。本当にこれほどの(骨)は見たことがない。」と、大きな声でおっしゃるので、(清少納言が)「それでは、扇の(骨)ではなくて、くらげの(骨)であるようだ。」と申し上げると、(隆家は)「これは隆家【私】のことばにしてしまおう。」と言って、お笑いになる。このようなことは、きまりが悪いことの中に入れてしまうべきであるが(書き残すべきことではないが)、(周囲の人々が)「一つも書き落としてはならない。」と言うので、どうしようか、いや、どうしようもない(から書き残しておく)。
ポイント
なり 助動詞(断定)
「に」は、「断定」の助動詞「なり」の連用形です。
「に」の前には、「骨」が省略されていますので、実質上、「体言+に」の後ろに助詞をはさんで「あり」があるという構造になっています。この場合の「に」は、「断定」の助動詞「なり」の「連用形」ということになります。
「断定」の助動詞「なり」は、ラ変型の活用をしますが、「連用形」だけ「なり/に」という2つの形があります。
「体言(or活用語の連体形)」のうしろに「に+あり」がある場合、ほとんどは連結して「なり」という助動詞になりますが、「に」と「あり」の間に「ぞ・も・て・こそ」などといった助詞がある場合や、「に」の後に「おはす」「さふらふ」といった、「あり」の「敬語表現」が来ている場合などは、「に」は「に」のまま残ることになります。
このときの「に」は、文法上「断定」の助動詞「なり」の連用形と区別されます。
なり 助動詞(断定)
「な」は、「断定」の助動詞「なり」の連体形です。
「な」の前には、「骨」が省略されており、「体言(骨)+なり」という構造になるため、「断定」の助動詞ということになります。
連体形「なる」が「なん」と撥音便化し、その「ん」が書かれていない「撥音便無表記」のかたちになっています。
なり 助動詞(推定)
「なり」は「推定」の助動詞「なり」の終止形です。
「伝聞・推定」の助動詞「なり」は、上代ではすべて終止形に接続していましたが、平安時代になると、「ラ変型」の活用語については「連体形」につくようになった、とされています。
しかしながら、「ラ変型の活用語」+「(伝聞・推定の)なり」という組み合わせの場合、大多数は「あんなり」「なんなり」などの「撥音便」となり、さらにその「ん」が書かれずに、「あなり」「ななり」と表記されました。
そのことから、「あなり」「ななり」などといった表現は、「ラ変型の連体形(撥音便無表記)+(伝聞・推定の)なり」であると判断します。
ここでは、中納言(隆家)の「今まで誰もが目にしたことがない(扇の)骨」の話を耳にして、その「聴覚情報」を根拠として、「それでは、扇の骨ではなくて、くらげの骨であるようだ」と述べていることになります。
したがって、「なり」は「推定」の意味になります。
ああ~。
耳から聞いた「音」や「声」から推しはかるというやつだな。
もちろん、実際には「クラゲの骨」ではありません。
話を聞いて、「話の内容から推察すると、それはくらげの骨かしら……」と冗談を言っているのですね。
隆家は、「そのジョーク、おれの言葉にするわ」ってゲラゲラ笑ってるし、周りの女房たちは、「このエピソード、やり取りの一つ一つを省かないで書き残してよ!」って大ウケだったわけだな。
清少納言自身は、「かたはらいたきこと」だから、「みんな忘れてね」くらいに思っていたのでしょうけど、みんなが「書いてね」ってせがむもんだから、結局は書き残して、千年後の我々に読まれてしまっているのですね。
そう考えると、「まわりの人」は、超ファインプレーだったね。
そのおかげで当時の様子がわかるわけですからね。