例も月をあはれがり給へども、このごろとなりては、ただごとにも侍らざめり。(竹取物語)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

三年みとせばかりありて、春の初めより、かぐや姫、月のおもしろう出でたるを見て、常よりももの思ひたるさまなり。ある人の、「月の顔見るは、忌むこと」と制しけれども、ともすれば、人間ひとまにも月を見ては、いみじく泣き給ふ。七月ふみづき十五日もちの月に出でゐて、せちにもの思へるけしきなり。近く使はるる人々、竹取の翁に告げていはく、「かぐや姫、例も月をあはれがり給へども、このごろとなりては、ただごとにも侍らざめり。いみじくおぼし嘆くことあるべし。よくよく見奉らせ給へ」と言ふを聞きて、かぐや姫に言ふやう、「なんでふ心地すれば、かく物を思ひたるさまにて、月を見給ふぞ。うましき世に」と言ふ。かぐや姫、「見れば、世間心細くあはれに侍る。なでふものをか嘆き侍るべき」と言ふ。かぐや姫のあるところにいたりて見れば、なほもの思へるけしきなり。

現代語訳

三年ほど経って、春の初めから、かぐや姫は、月が趣深く出ているの見て、いつもよりも物思いに沈む様子である。ある人が、「月の顔を見るのは、不吉で避けるべきこと」と言って制止したが、それでも、人目につかない間にも月を見ては、並々でなくお泣きになる。七月の十五日の月に(かぐや姫は縁側に)出て座って、切実に物思いにふけっている様子である。(姫の)近くで仕えている人々が、竹取の翁に告げて言うには、「かぐや姫は、普段も月をしみじみと感慨深く思っていらっしゃるが、このごろとなっては、いつもの様子でもございませんように見える。たいそう思い嘆きなさることがあるにちがいない。よくよく見て差し上げてください」と言うのを聞いて、(翁が)かぐや姫に言うには、「どういう気持ちがするから、このように物思いにふけっている様子で月をご覧になるのか。すばらしい世の中に」と言う。かぐや姫は、「(月を)見ると、世の中が心細くしみじみした気持ちになります。どうして物事を嘆きますか、いや、嘆きません」と言う。(しかし、そのあと翁が)かぐや姫のいるところに行って見ると、やはり物思いにふけっている様子である。

ポイント

例 名詞

「例」は「前例」という意味ですが、数々の前例が同じ状態であると、それは「普通のこと」になります。そのことから、「普通」「通常」「いつも」「普段」などと訳すことが多くなります。

ひらがなで書かれることも多いので、注意が必要です。

古文で目にするときは「例の」というかたちが多いですね。

あはれがる 動詞(ラ行四段活用)

「あはれがり」は、動詞「あはれがる」の連用形です。

「あはれ」が動詞化したものであり、「しみじみと感慨深く思う」などと訳します。

ここでは、侍女たちが、かぐや姫の様子を客観的に報告している場面なので、「しみじみと感慨深く眺めていらっしゃる」というように、「他人からそう見えている」様子として訳してもいいですね。

給ふ 動詞(ハ行四段活用) *尊敬語

「給へ」は、動詞「給ふ」の已然形です。

ここでは「補助動詞」なので、「お~なさる」「~ていらっしゃる」などと訳しましょう。

「四段活用」の「給ふ」は、「尊敬語」で確定です。

ただごと 名詞

「ただごと」は、名詞「徒事ただごと」です。

「普通のこと」「いつものこと」と訳しましょう。

侍り 敬語動詞(ラ行変格活用) *丁寧語

「侍ら」は、動詞「侍り」の未然形です。

「侍り」には「謙譲語」と「丁寧語」の可能性があり、「謙譲語」なら「お仕えする」と訳し、「丁寧語」なら「あります・おります・ございます」などと訳します。

この場面では、「かぐや姫」が誰かに仕えているわけではないので、「侍り」は「丁寧語」と考え、「あります・おります・ございます」などと訳しましょう。

ざめり 連語

「ざめり」は、打消の助動詞「ず」の連体形「ざる」に、推定の助動詞「めり」がついたものである「ざるめり」がもとです。「~ないようだ」「~ないように見える」などと訳します。

「る」が撥音便化して「ざんめり」と読むようになりましたが、「ん」というひらがながなかった時代には「ざめり」と表記されています。

これは、「ん」が表記できないから「ざめり」と書いてあるだけなので、声に出して読むときは「ざんめり」と読みます。