むげなり【無下なり】 形容動詞(ナリ活用)

これより下は無い

意味

(1)最低だ・あまりにひどい・論外だ

(2)まさにそのとおりだ・まぎれもない

(3)身分が非常に低い・教養がない・知識がない

(4)(連用形で用いて)並外れて・非常に・むやみに
   まったく(~ない)・全然(~ない)

  *(4)は副詞とする考え方もある。

ポイント

これより「下」が「無い」ということであり、根本的な意味は「最低だ」ということです。

「むげなり」という形容動詞として分類されますが、次の2パターンの使い方が多いです。

(ⅰ)語幹の「むげ」に「の」がついた「むげの~」という表現で用いる。
(ⅱ)連用形「むげに」のかたちで副詞的に用いる。

(ⅱ)については、「副詞」と考えたほうがよい使い方が多いです。

そういえば前に、大分のおばあちゃんの家で転んで泣いていたら、「むげねえなあ」って言われたことがあるぞ。

九州のほうに行くと、今でも「むげねえ」という言葉が残っているところがありますね。

子どもが転んでしまって泣いているなど、とてもかわいそうな状況で「むげねえ」などと言います。「これ以上かわいそうな状況はないぞ」という感じですね。

これはまさに「むげなり」の名残です。

それにしても、どうして「最低」を意味する「むげなり」が、(2)の「まさにそのとおり」「まぎれもない」って意味になるんだろう。

「一番下」であるので、「それでしかない」「それ以外の何にもならない」という意味合いを持ちます。そのニュアンスで、「まさしくそれだ」という訳をすることがあります。

または、次のような考え方もあります。

「最低」という語義から「論外」という意味で使用するのですが、「論外」とは「論じるまでもない」という意味合いです。

「論じるまでもなく〇〇だ」と言ったら、「まぎれもなく〇〇だ」という意味内容になりますよね。

ああ~。

たしかに!

あとは、「身分」が「とても低い」という意味があります。「やむごとなし(高貴だ)」の反対語みたいなイメージですね。

「教養」「知識」といったものが最低だという意味にもなります。

「一番下」っていう語義から、いろんな訳語になるんだね。

でも、「一番下」って、ある意味で大物感があるよね。「逆にスゲエ」みたいな。

まさにそういうニュアンスで、「程度のはなはだしさ」を意味することがあります。

特に、連用形「むげに」のかたちで用いると、「むやみに・一途に」という意味で使用されやすいですね。また、「むげに」の下に打消表現を伴うと、「まったく(~ない)」「全然(~ない)」と訳します。

このように、「むげに」のかたちだと、「程度のはなはだしさ」を意味する用法が主流になり、意味がほぼ固定化されていきます。そのため、「むげに」のかたちを「連用修飾語になる活用しない自立語」とみなし、「副詞」に分類する考え方もあります。

例文

いかに殿ばら、殊勝のことは御覧じとがめや。無下なり。(徒然草)

(訳)なんと、皆の衆、このすばらしいことをご覧になって、気にとめないのか。あまりにひどい

まして底に書ける物を見るに、むげに落窪の君の手なれば、(落窪物語)

(訳)まして底に書いてある物を見ると、まぎれもなく落窪の君の筆跡であるので、

今様は、むげにいやしくこそなりゆくめれ。(徒然草)

(訳)当世風のものは、むやみに下品になっていくようだ。

「むげに」のかたちで「程度のはなはだしさ」を示す場合、「副詞」と考えることもできます。

法師のむげに能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、(徒然草)

(訳)僧がまったく芸がないのは、檀那【施主】が興ざめに思うだろうと思って、

「むげに」のかたちで「程度のはなはだしさ」を示す場合、「副詞」と考えることもできます。

「なき」という打消表現がありますので、「まったく(~ない)」「全然(~ない)」と訳しましょう。

疎きも親しきも、むげの親ざまに思ひ聞こえたるを、(源氏物語)

(訳)親しくない人も親しい人も、(源氏を玉鬘の)まぎれもない親のように思い申し上げているのを、

語幹「むげ」に「の」をつけた用い方です。

これをむげの者は、手をすりて拝む。(徒然草)

(訳)これを【入水しようとする僧を】教養のない者は、手をすり合わせて拝む。

こちらも、語幹「むげ」に「の」をつけた用い方です。