おぼつかなからぬやうに告げやりたらん、あしかるべきことかは。(徒然草)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

人はいまだ聞き及ばぬことを、わが知りたるままに、さても、その人の事のあさましさなどばかり言ひやりたれば、「いかなることのあるにか」とおし返し問ひにやるこそ、心づきなけれ。世にふりぬることをも、おのづから聞きもらすあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げやりたらん、あしかるべきことかは。かやうのことはものなれぬ人のあることなり。

徒然草

現代語訳

人がまだ聞き及ばないことを、自分が知っているのにまかせて、「それで、その人の事のおどろきあきれること」などとだけ(省略して)言い伝えたところ、「どのようなことがあるのか」と折り返し問うのに(人を)送ることも、気にくわない。世の中に(伝わってすでに)古くなったことも、たまたま聞きもらす人もいるので、はっきりしないことがないように知らせてやった【伝えきった】として、悪いことだろうか、いや、悪いはずがない。このようなことは【言葉が足りない行為は】、物事に慣れず、わきまえない人のすることである。

ポイント

おぼつかなし 形容詞(ク活用)

「おぼつかなから」は、形容詞「おぼつかなし」の未然形です。直後に助動詞が続くので、補助活用になっています。

「おぼ」は「おぼめく」「おぼろなり」の「おぼ」と同じで、「ぼんやりしている・はっきりしない」ということです。

「なし」は「はなはだそういう状態である」という接尾語です。

ず 助動詞

「ぬ」は、助動詞「ず」の連体形です。意味は「打消」です。

やる 動詞(ラ行四段活用)

「やり」は、動詞「る」の連用形です。

ここは「知らせてやる」くらいに訳して問題ありませんが、次のように考えて、「すっかり最後まで伝える」などと訳すこともできます。

「遣る(やる)」は、「送る」「つかわす」という意味の動詞です。

「遣唐使」の「遣」ですね。

「やる」は、「はるか遠くまで」というニュアンスを持っているので、補助動詞として使用すると、遠方まで影響が及ぶことを意味し、「はるかに〜する」「遠く〜する」と訳すことがあります。

あるいは、その動作が最後まですっかり成し遂げられることを意味し、「〜しきる」「最後まで〜する」などと訳すことがあります。

ここでも、「やる」を補助動詞として考えて、「伝えきる」とか、「すっかり最後まで知らせる」などと訳すことも可能です。

文法上はどちらで考えても問題はありませんが、文脈的には「ことばが足りないことは気にくわない」ということについて述べられているので、選択肢問題であれば、「省略せずにすっかり最後まで知らせたとして」などという表現も考えられます。

たり 助動詞

「たら」は、助動詞「たり」の未然形です。ここでの意味は「完了」です。

「たり」は、「存続(〜ている)」「完了(〜た)」のどちらかになりますが、「ている」とできる場合には「存続」でとっておきましょう。

ここは「ている」とすると表現がなじまないので、「完了」で訳しています。

ん 助動詞

「ん」は、助動詞「ん(む)」の連体形です。いわゆる「文中連体形」の「ん(む)」なので、「仮定」か「婉曲」で訳します。

「仮定」と「婉曲」は、どちらで訳しても問題ないことが多いものですが、方法論としては、

直後に体言がなければ「仮定」 〜としたら(それは)〜
直後に体言があれば「婉曲」 〜のような○○

と考えておきましょう。

ただし、「体言なし」の「婉曲」や、「体言あり」の「仮定」もありうるので、柔軟に考えましょう。

べし 助動詞

「べき」は、助動詞「べし」の連体形です。

「べし」は、「推量・意志・可能・当然・命令・適当」など、多くの意味がありますが、「〜べき○○」というように、体言に係っていく場合は、「〜はずの○○」というように、「当然」の意味が比較的多くなります。

ただ、ここは反語文における問いかけの中身なので、「悪かろうことか」というように、「推量」的に訳した方がしっくりきます。

前述の現代語訳では、こなれた訳にするために、思い切って語順を入れ替えて「悪いことだろうか」としました。

かは 係助詞

「かは」は、係助詞「か」+係助詞「は」ですが、「かは」で一語の係助詞と考えてかまいません。

「か」は、直前の語について問う「疑問」または「反語」の用法ですが、「かは」になると、ほとんどが「反語」の用法になります。

「〜かはあらむ」「〜かはありけむ」などという表現は、多くの場合、「あらむ」「ありけむ」などが省略されます。

これを結びの省略と言います。訳をするうえでは、適切な表現を補って訳す必要があります。

なお、「結びの省略」が起きると、結果的に「かは」が文末にくることになり、まるで「終助詞」のような用い方になります。

徒然草の時代の用法でいえば、語り手の感覚としては、「結びを省いている」というより、「文末表現」として「かは」を用いていると言えないこともないので、こういった「かは」の文末用法を、「終助詞」とする考え方もあります。