宣耀殿の女御 『大鏡』 現代語訳

『大鏡』より、「宣耀殿の女御(せんようでんのにょうご)」の現代語訳です。

「宣耀殿の女御」は「藤原芳子」のことです。お父さんは「藤原師尹もろただ」です。

「村上天皇」から「芳子」へのご寵愛は並々でないものでした。

「村上天皇」の中宮「安子」が、この「芳子」に嫉妬して、中仕切りの壁に穴を空けて土器の破片を投げつけた話はこちらです。

御女、村上の御時の宣耀殿の女御、~

御女、村上の御時の宣耀殿の女御、かたちをかしげにうつくしうおはしけり。内へ参りたまふとて、御車に奉りたまひければ、わが御身は乗りたまひけれど、御髪の裾は、母屋の柱のもとにぞおはしける。一筋をみちのくに紙におきたるに、いかにもすき見えずとぞ、申し伝へためる。

(藤原師尹の)御娘【芳子】は、村上天皇の御代の宣耀殿の女御で、容貌が美しくかわいらしくいらっしゃった。宮中へ参内なさろうとして、お車にお乗りになったところ、御自身のお体は(お車に)お乗りになったが、御髪の先は、(まだ)母屋の柱のもとにおありだった。(この御髪の)一筋をみちのくに紙【檀紙(まゆみの樹皮から作った奉書紙)】に置いたところ、まったく隙間が見えないと、申し伝えているようだ。

御目の尻の少し下がりたまへるが、~

御目の尻の少し下がりたまへるが、いとどらうたくおはするを、帝、いとかしこく時めかさせたまひて、かく仰せられけるとか、

 生きての世 死にての後の 後の世も 羽をかはせる 鳥となりなむ

御返し、女御、

 あきになる ことのはだにも かはらずば われもかはせる 枝となりなむ

お目尻が少し下がっていらっしゃるのが、いっそうかわいらしくいらっしゃるのを、帝は、たいそうはなはだしくご寵愛なさって、このようにおっしゃったとか、

(この)生きている世、そして死んでから後の、その後の世も、羽を並べて飛ぶという鳥となりたいものだ【二羽が一体になって飛ぶという比翼の鳥のように離れずにいたいものだ】。

(その)御返歌として、女御(が詠んだ歌は)、

秋になって木の葉の色が変わるように、人の心にも飽きがくると言葉も変わるものだけれど、もし(今の)言葉さえ変わらないのであれば、私も(枝を)交わしている枝になりたいものだ【枝が連なって一本になった連理の枝のようにあなたと一緒にいたいものだ】。

古今浮かべたまへりと聞かせたまひて、~

古今浮かべたまへりと聞かせたまひて、帝、こころみに本を隠して、女御には見せさせたまはで、「やまと歌は」とあるを始めにて、まづの句のことばを仰せられつつ、問はせたまひけるに、いひ違へたまこと、詞にても歌にてもなかりけり。かかる事なむと、父おとどは聞きたまひて、御装束して、手洗ひなどして、所々に誦経ずきやうなどし、念じ入りてぞおはしける。

(女御が)古今和歌集を暗誦していらっしゃるとお聞きになって、帝が、ためしに(古今集の)本を隠して、女御にはお見せにならないで、(序の)「やまと歌は」とあるのを初めとして、(歌の)初句のことばを次々おっしゃって、(続く句のことばを)お尋ねになったところ、(女御が)言い違えなさることは、詞書であっても歌であってもなかった。このようなことがあると、(女御の)父の大臣【藤原師尹】はお聞きになって、御正装になって、手を洗い清めるなどして、あちこち(の寺)に誦経(のための布施物)などをして、(女御のために)祈っていらっしゃった。

帝、箏の琴をめでたく遊ばしけるも、~

帝、箏の琴をめでたく遊ばしけるも、御心に入れて教へなど、限りなく時めきたまふに、冷泉院の御母后失せたまひてこそ、なかなかこよなくおぼえ劣りたまへりとは聞こえたまひしか。「故宮の、いみじうめざましく、安からぬものに思したりしかば、思ひ出づるに、いとほしく悔しきなり。」とぞ仰せられける。

帝は、箏の琴【十三絃の琴】を見事に演奏なさったのだが、(それを女御に)ご熱心に教えるなど、(女御は)この上なくご寵愛をお受けになったが、冷泉天皇の御母后【中宮安子】がお亡くなりになってから、かえって特別にご寵愛が衰えなさったとうわさにおなりになった。(帝は)「故宮【中宮安子】が、(女御を)たいそう気にくわなく、心穏やかでない者にお思いになっていたので、(それを)思い出すと、(女御への過度なご寵愛は、中宮安子が)気の毒で悔やまれることである。」とおっしゃった。