古文は主語が書かれないことが多いけど、書かれないくせに主語が変化していってわかりにくい。
ルールはないのか?
絶対ではありませんが、「変わりにくいところ」「変わりやすいところ」はあります。
「て」の前後は変わりにくい
接続助詞「て」の前後は、基本的に同じ人の行為です。
ただ、
貴族の行為 て 大納言の行為
といったように、集団から個人に変わることはあります。
「を」「に」「が」「ば」の前後は何かが変わる
反対に、「変わりやすいケース」は次のようなとき。
〈接続助詞〉である「を」「に」「が」「(已然形+)ば」などは、そこでいったん文をせき止めるはたらきがあり、「何か」が変わる。
その「何か」は「主語」であることが多い。
「何か」が変わるからこそ、〈接続助詞〉である「を」「に」「が」「(已然形+)ば」などを置いて、目印にするのですね。
◆主語
◆場所(空間)
◆時間
◆因果(理由→結果)
◆心情/行為
といったもののうち、何かに変化があります。
「何か」は主語じゃないこともあるのか?
もちろんあります。
ただ、主語が変わることが多いです。
経験的には、「をにがば」があると、70%くらいの確率で主語が変わります。
対象が必要な行為+ば
あとは、
「已然形+ば」のときは、「ば」の前にある動作を確認するといい。
その動作が、「誰かに投げかけている行為」であれば、「ば」の後ろから、「投げかけられた相手」の行為が始まる。これは85%くらいの確率でそうなる。
その%はどうやって調べたの?
ひたすら数えた。
ひたすら数えた。
いまの話で出てきたように、
「已然形+ば」において、「ば」の前の動作が「投げかけ系」の行為であれば、「ば」を転換点にして主語が変わることが多いです。
たとえば、
(AがBに) いひければ、 (Bは~)
(AがBに) 問へば、 (Bは~)
(AがBの) 肩を揺らせば、(Bは~)
といったように、「ば」の後ろでは、その行為を受け取った相手の「返し」が始まるのですね。
「絶対にそうなる」とまでは言えませんが、そうなる可能性は高いです。