助動詞「す」「さす」「しむ」 ―もともとは「使役」 のちに「尊敬」の用法が多くなる― 使役・尊敬 (謙譲・受身)

活用と接続

助動詞「す」「さす」「しむ」について学習しましょう

ひとまず、3ついっぺんに活用を見ておきましょう。

ではいっぺんにいきます。

助動詞「す」の活用です。

未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形
 せ / せ / す / す る / す れ / せ よ

助動詞「さす」の活用です。

未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形
さ せ/さ せ/さ す/さする/さすれ/させよ

助動詞「しむ」の活用です。

未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形
し め/し め/し む/しむる/しむれ/しめよ

3つとも、「未然形」につきます。

3つとも、意味は「使役」「尊敬」です。

基本的に、和文体には「す」「さす」が多く用いられます。

「しむ」漢文訓読体に使用されやすいので、僧や学者の文章にはけっこうでてきますね。

「す」と「さす」の違いは何なんだ?

意味は同じと考えてよいです。

接続も同じ「未然形」です。

違うのは直前の「音」です。

「す」「a音」にしかつきません

「さす」それ以外の音につきます

渡ら す
食は す
飛ば す

流れ さす
植ゑ さす
さす
さす

って感じかな。

そのとおりです。

未然形の語尾が「a音」になるのは「四段」「ナ変」「ラ変」なので、

「す」「四段・ナ変・ラ変の未然形につく」ということになります。

「さす」「上一段・下一段・上二段・下二段・カ変・サ変の未然形につく」ということになります。

「しむ」は、あらゆる動詞の「未然形」につきます。

【意味】 使役 → 使役・尊敬 (謙譲・受身)

意味については3つともほぼ同じで、もともとは「使役」です。

いまでも

弟を買い物に行か

とか言うもんな。

それがそのうち「尊敬」でも使われ始めます。

どういうことだ?

たまふ」って尊敬語がありますよね。

笑ひたまふ

なら、

笑いになる
笑いなさる

などと訳します。

ああ、あるな。

これが、

笑はたまふ

となっていたら、「超絶偉い人」が「お笑いになっている」ということです。

これが「す」の「尊敬」の用法です。

そもそも尊敬語の「たまふ」があるんだから、さらに尊敬の意味をつけなくてもいいじゃないか。

でも、「たまふ」だけだと、そのへんの貴族にもバシバシ使うんですよ。

さっき超絶偉いといったのは、天皇・上皇・法皇・皇后・皇太后などを指すんですけど、このあたりの存在に対しては、「たまふ」だけでは足りないと考えて、さらに高い位置に上げるため「せたまふ」「させたまふ」「しめたまふ」なんていう表現が編み出されるのですね。

この「尊敬の助動詞」+「尊敬語」のセットを「最高敬語」と言いまして、天皇級に超絶偉い人に対して用います。

でもどうして「使役」が「尊敬」になっちゃうんだろうな。

成り行きが謎だな。

位の高い貴人は生活における身のまわりのことをほとんど従者にやらせますよね。

「食事を用意させる」とか、「着る物を用意させる」とか。

ああ~。

たしかに、自分でキャベツを千切りにしたり、自分でタンスの中を探したりはしないだろうな。

たとえば、

(帝が衣を)着さたまふ。

という場合、もともとは、誰かが周囲で手伝っているからこそこのような表現になります。

実際にきっぱり命じているのであれば、この「せ」は「使役」と言えないことはありません。

ところが、帝自身が「ねえ、衣を着せてくれないかな」などときっぱりお願いしなくても、周囲の人々は帝の意志を感じ取って、さっと着物を肩にかけたりしますよね。

帝がいちいち「ねえ、ぼくのためにご飯つくってよ」ときっぱりお願いしなくても、食事は作られて、運ばれてきます。

忖度そんたくってやつだな。

この場合、「使役」とはきっぱり言えないですよね。

なぜなら、あれこれと指示しているわけではなくても、お付きの人々は帝のためにそれをしてしまうのですから。

そういったことから、「~せたまふ」「~させたまふ」という表現の場合、その「せ」「させ」から「使役」のニュアンスはだいぶ薄れてきてしまいます。

なるほどな。

もともとはそういう使い方から「尊敬」の意味が発生していったわけです。

先ほどの「着させたまふ」の例でいえば、状況次第では「使役」と言えなくもないのですが、最初の例に挙げた

うへ、笑はたまふ。

などという表現で、天皇自身がゲラゲラ笑っているのであれば、完全に「尊敬」の用法ですね。周りに何かをさせているわけではないですから。

天皇が誰かを笑わせてたらどうなの?

その場合は「使役」です。

ムッズ!

そのへんは文脈で判断するしかないんですが、「たまふ」の直前にある「す」「さす」「しむ」は90%くらい「尊敬」です。

「せたまふ」「させたまふ」の「せ」「させ」が「使役」になる場合には、何かをさせる対象が書かれていますので、たまに目にする「使役」の用法も、それほど判断しにくいわけではありません。

なお、さっきから「たまふ」「たまふ」と言っているんですけど、「おはします」など、別の尊敬語のときもあります。とはいえ、たいていは「たまふ」ですね。

「す」「さす」「しむ」はこういった経緯で「尊敬」の意味を持っていったので、逆に「尊敬語とセットになっていなければ原則的には使役」と考えます。

たまに出てくる「謙譲」と「受身」の意味

あとは、あんまり多くはないんですけど、

たてまつ

のように、「謙譲語」についていることがあります。これは、セットになっている「謙譲語」をいっそう強めるはたらきをしているので、意味としては「謙譲」になります。

尊敬語とセットなっていたら、その尊敬語をいっそう強めているから「尊敬」で、謙譲語とセットになっていたら、その謙譲語をいっそう強めているから「謙譲」と考えればいいんだな。

そうです。

あと、おもしろい使い方があるのは、『平家物語』のような軍記物語に出てくる

させ
討たけり

などの表現です。

これ、文脈的には「射られて」「討たた」ということなんですよ。だから意味は「受身」です。

「射られて」「討たけり」とは言わないのか?

普通に「る」「らる」を使うことももちろん多いんですけど、軍記では「す」「さす」を「る」「らる」のかわりに用いることがあるんですね。

おそらくは、武士の余裕で「わざとそうさせたんだ」ということなんだと思います。

ああ~。

本当は思いがけず射られてるのに、「刺さっても余裕だから射させたんだよ」的な用法なんだな。

けっこう格が高い武将が射られたときに「射させけり」なんて言うんですよね。

きっと、「これほどの武将だからわざと射させたんだろう」みたいなニュアンスなんだと思います。

へえ~。

なんか、

「詠嘆」の「けり」いわゆる「気づき」の「けり」

みたいな別名がほしいね。

「受身」の「す・さす」いわゆる「気づいてた」の「す・さす」

「わざとそうさせてやった」の「す・さす」

いいね!

では、注意点をまとめておきましょう。

「尊敬語」とのセットはほとんどが「尊敬」

「~せたまふ」「~させたまふ」の「せ」「させ」はほとんどが「尊敬」の意味です。

まれに「~せおはします」「~させおはします」など、別の尊敬語の場合もあります。

「たまは」の「す」や、「のたまは」の「す」なども「尊敬」と考えます。

「尊敬語」+「尊敬の助動詞」なので、「最高敬語」です。

ただ、これらは「たまはす」「のたまはす」で一語の動詞として覚えてしまったほうが早いですね。

あとで出てきますが、たとえば「ご覧ぜさす」の「さす」は「使役」とされています。

このように、「尊敬語」とセットになればすべて尊敬というわけではありません

尊敬語を伴っていても「使役」で解釈する場合もある。しかし、数は多くない。

「せたまふ」「させたまふ」という表現についても、「す・さす」が必ず「尊敬」というわけではありません。「使役」になるときがあります。

ポイントは2つです。

①使役の対象者がいる場合
②身分の高い者が直接おこなわないであろう行為の場合

は、「使役」と考えましょう。

単独で用いられているものは、ほぼ「使役」

尊敬語とセットになっていないものは、そのほとんどが「使役」です。直前にも直後にも尊敬語がないものは、まずは「使役」と考えましょう。

ただ、「謙譲」「受身」の可能性もあるので、「謙譲語」とセットになっていたら「謙譲」の意味である可能性を、軍記物語の「射さす」「討たす」などの表現は「受身」の意味である可能性を考慮しましょう。

例文その1

帝、笑はたまふに、

「尊敬」です。

「せたまふ」の形になっているものはたいてい「尊敬」です。

ただし、必ず「尊敬」と即断するのは避けましょう。「使役の対象がいる動作」「身分が高い者が直接は行なわない動作」であれば、「使役」の可能性もあります。

けれどもこの例文はその2つのポイントのどちらにも該当しないので「尊敬」と考えます。

例文その2

人々に歌詠ま給ふ。

「使役」です。

「せ給ふ」の形になっていますが、「使役の対象者(人々)がいる動作」となるので、「使役」と判断します。

例文その3

院も御車おさへさせ給ひて、

「使役」です。

「させ給ひ」の形になっていますが、「車」を「おさふ(とめる)」という動作を「院(上皇)」が直接おこなうことはない、と判断します。

例文その4

賜はたる物、おのおの分けつつ取る。

「尊敬」です。

「宣ふ(のたまふ)」「賜ふ(たまふ)」につく「す」は尊敬語をいっそう高める「尊敬」の意味になります。つまり最高敬語の扱いです。

ただ、「のたまはす」「たまはす」は、一語の動詞としてとらえる立場が一般的です。

同じように、「奉らす」なども、一語の動詞として考えるのが一般的です。

もともとは「謙譲語」である「奉る」に、謙譲の意味をいっそう強める「す」がついたものです。

そのため、「奉らす」の「す」だけの意味を問われた場合には、「謙譲」と答えます。

例文その5

いま、御前に御覧ぜさせて後こそ、

「使役」です。

「御覧ぜさせ」の「させ」は「使役」の用例しかありません。

「ご覧になる」という状態に「させる」わけであるから、直訳としては「ご覧にならせる」となりますが、理解しにくい日本語になってしまうので、一般的には「ご覧に入れる」「お目にかける」と訳します。

ところで、「御覧ぜらる」という表現もあり、この「らる」は「尊敬」「受身」どちらかの意味になります。

「尊敬」ならば「ご覧になる」と訳します。

「受身」ならば「ご覧になられる」で解釈されるようになっていきました。

同じように考えるならば、「御覧ぜさす」の「さす」も中世からは「尊敬」ととってよさそうですが、文脈上、そういう用例自体が存在しませんでした。

例文その6

向かへの岸より山田次郎が放つ矢に、畠山、馬の額を篦深のぶかに射させて、弱れば、

「受身」です。

「畠山重忠が、馬の額を深く射られて」という訳になります。

出たぞ。「わざとそうさせてやった」の「さす」

まあ実際は単純にやられているわけですから、「射られて」と訳すしかないですよね。

そのため、意味も「受身」と考えます。